2017年 ゴッドファーザー逍遥記
2017年12月25日☆年の瀬を迎えて
今年もクリスマスまで来てしまいました。もうすぐお正月でお互い気ぜわしい季節になりました。
そんな中、今月あったこと、心にのこったことをメモ的に載せて行きたいと思います。
そのハイライト(1)は阿部勉応援団の忘年会が12月10日に「 せんだい演劇工房10-BOX 」でありました。
趣旨は団員であり、仙台市文化事業団の学芸員をしている大沼さんが「 10ーBOX 」で、演劇のワークショップを開催し、その講師に阿部監督が二日間招かれ、その打ち上げに私達も「大望年会」(団長のシャレ)がてら参加したものでした。
今回も主賓である演劇関係者、舞台関係者の方々との真摯で楽しい交流をさせて頂き、さらに大いに盛り上がりとても愉快なひとときを過ごして参りました。冒頭に太宰先生に会うと「三浦さん この間のガーファンクルの時、二つ後ろの席に居ましたよ」と言われ「エエッー ほんとう〜に オーマイガー」となりました。二人でS&Gの話しに夢中になり、改めて同好の士は「良いもんだなぁ」と感じてきました。
あと監督に山田監督が小津監督の手法をどう意識していたのか? 取材調にリアリーに尋ねてみました。すると案外、巷間に伝わってるのと、ニュアンスが若干ちがい太宰先生、大沼さんとで「へぇー」となりました。貴重なお話ありがとうございました。
小説は小説、映画は映画と、それぞれですが監督の、その手法の違いにいつも、興味があります。
(2)は今年大ブレイクした荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」のことです。平野ノラさんと登美丘高校のおかげでリバイバルの大流行となりました。時はバブルに差し掛かってた頃と思います。テレビでタモリさんが「ワンレン ボディコン マブイ ギャル」をはやらせていました。
いつもように一番町を歩いていると、フォーラス前の永楽園(当時)の隣のビルの角で待ち合わせなのか、ニットのミニボディーコンシャスでワンレングスの女性を見かけて「おーこれか〜」と思いました。仙台で初お目見えです。そこから爆発的大ブームが続くのです。
当時はディスコミュージックが流行りで国分町では「グリーンハウス」などが全盛でした。そして曲はユーロ・ビートです。この時気に入ってたのがドイツ語に聞こえた『Eat You Up』でした。そしたら、ある時、休日に丸善に行くと入り口の所でCDの販売があり、偶然、荻野目さんバージョンを見つけシングル版だったので気軽に買いました。
そしてドライブなどで車中で聴くと、そのメロディと日本語の歌詞が驚くほど完璧なのです。内容は踊りに来た少女が男性に求愛するストリーなのですが、詞の構成が1番〜3番まで若者向きに実に良く出来た物語に仕上がっているのです。イヤー驚きました。そしてクオリティーが高ので自分の『Don・Vito青春記』に載せたのです。
すると今度は、この曲が愛知や岐阜さらに東京でも盆踊りで使われ出したとのことでした。しかし私にすれば「むべなるかな」なのです。実は日本の盆踊りの起源・ルーツは先住アイヌの方々の伝統行事だったのです。
彼らは夏の終わりに男性が丸太をくり貫きお盆を作り、男女が輪になって踊りながら好きな相手が近付いたら、そのお盆を投げ渡すのだそうです。そして女性もOKならそのお盆を受け取り求愛が成立し二人は暗闇に消えるのだそうです。
この風習は明治期まであったようで、渋民村で教師をしていた啄木が良くない風習なので禁止したといってます。まっ、それはさて置きシャイな日本人には珍しい求愛ダンスが盆踊りの発祥起源のようで、今回のダンシング・ヒーローのリバイバルヒットには少し感慨深いものがありました。
日本人の盆踊り好きも「おわらの風盆」なども同じルーツなのでしょうか?と不明ですが以前から思っていました。以上、長くなってしまいました。しかし、盆踊りの楽しさは普遍ですので今後も末永く続くことを祈っております。そして日本の少子化に何らかの恩恵があれば良いのではないでしょうか「愛こそすべて」聖書です。
◎ 愛がなければ子供が生まれて来ません。
(3)は12月2日に亡くなったはしだのりひこさんのことです。闘病中だったそうですが、まだ早すぎです。北山修さんは、のりちゃんから「人生の意味は自分で作り出さなければならない」ことを学んだそうです。
わたしとしては端田さんは「おわらの風盆」となってしまいましたが、「帰って来たヨッパライ」でもいいから、また楽しませてくれないかなぁと言うところです。ちなにみ、中退だそうですが、同志社の神学部だったそうです。合掌
おわりに「風」は当時、隣の席の渡辺君が歌ってたのを良く覚えています。それでは皆さまよいお歳を。です。
2017年11月23日☆S&Gガーファンクルとケネディ文書のこと
11月10日のことですが、サイモン&ガーファンクルのデュオのうち、アート・ガーファンクルの単独来仙コンサートがあり観てきました。
場所はトンペイの川内キャンパス・萩ホール(旧松下記念館)です。ここは東北大学の片平キャンパスが手狭になったので、川内キャンパスを新設するさいに、松下幸之助さんが私財を投じて寄贈してくれたホールです。音響設備に定評がある1200席ほどの施設で、定礎は昭和46年頃です。
私が初めてサイモン&ガーファンクルを聞いたのは中学二年の夏休みです。間もなくお盆と言うとき、母に命じられ恒例の大掃除中でした。
あの100mはある上城の長い側溝をTBCラジオを聞きながら、シャベルでエッチラ、オッチラ黙々と作業をしていると、一度聞いたら絶対に忘れられないサウンドOFサイレンスのメロディラインが流れて来ました。それこそ「エエッ なんだろうこのメロディは」と耳にガビ〜ンと響きました。
それからレコードが欲しくなり、姉が志津川の朝緑にいくと言うので買って来てもらいました。ところがこのレコードがサイモン&ガーファンクル版ではなく、当時、競作だったマリー・ラフォーレのフランス語版だったので「サイレンス」が「シロンス」とか歌われたりしてあまり感じが出ませんでした。
そしたら次の年の三年生になると偶然ヒデと大森先生のクラスで一緒になり、アーティストの話をしてると彼がサイモン&ガーファンクルの「ミセスロビンソン」を持ってるからあげるよ、となったので頂くとそのB面がサウンドOFサイレンスでした。ちなみに同じ頃、善昭君からビージーズの「マサチューセッツ」をもらいました。
もともと、サイモン&ガーファンクルはトム&ジェリーというグループ名でデビューしました。するとやがて67年頃、ダスティン・フォフマン主演の映画「卒業」の中での主題歌「ミセスロビンソン」がヒットしてメジャーデビューとなりました。
その映画にサウンドOFサイレンスとスカボロフェアの2曲も入っていて同時にヒットしたものでした。
で、今回の萩ホールのコンサートのことですが、曲は「四月になれば彼女は」や「ボクサー」が前半に歌われ、中盤に「サウンドOFサイレンス」「スカボロフェア」などが歌われました。そして「ホームバウンド」「キャシーの詩」と10曲以上が歌われトリは誰しもが予想した「明日に架ける橋」で感動のフィナーレとなりました。
そして写真のことですが、せっかく、憧れのサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルがトンペイのホールに来てくれるのは後世の歴史になるので、肖像権のことも有りますが、記念に1枚は欲しいと、一緒に行ってくれた人にソッと撮って貰うよう頼みました。
ところがカメラの準備中に手が滑ったのに気づかず、フラッシュ焚きとなってしまいました。すると流石はガーファンクル、「誰だよ」と私たちを睨みました。さらに、外していたメガネをかけて、歌いながら再度こちらをにらむので、怒りが如実に伝わって来ました。私は「申し訳ない」と心のなかでお詫びしました。
そんなこんなでアンコールも終り大拍手の中ですが、私は大声で「Thank you so much Garfunkel」と叫ぶとステージの袖に向かう後ろ姿の背中に「うん いいよ」と言ってくれたような気がしました。同行の人もまわりの人も「驚かせたかなぁ」と多少のリグレットも有りましたが、そのぶん更に思い出に残る一夜ともなりました。
自分の青春と共に歩んだS&Gに仙台、それもトンペイで会えるなんて、夢にも思いませんでした。以上です。
そして日本時間の本日がケネディ暗殺の日です。昨日のテレビ「世界の何んだコレ!?ミステリー」でも触れていましたが、いよいよCIAとオズワルドが繋がっていたと言う文書と、オズワルドを殺したジャック・ルビー*が、ダラス市警察にワイロを贈る、ズブズブの関係だったという文書も出てきました。
*ジャック・ルビーはシンジケート・マフィアで、シカゴの代表 サム・ジァンカーナから送られた、ダラス駐在のマフィアの構成員です。事件後にオズワルドを暗殺することを命じられていました。この暗殺のやり方をマフィアはダブルコンタクトと言います。
追記: 参考メデア
2017年10月21日☆宗久さんとケネディ文書について
今月初めの連休に一番町の藤崎前でコンサートをしている宗久さんと遭遇しました。真紀さんがステージの準備中に偶然に出会ったのでした。
なんでも連休中、三日間も出演するそうで張り切ってました。彼女は気仙沼美人で相変わらずの美しさで、ステージも充実した雰囲気がありました。
歌もさらにオリジナルが増えたようで、ドラマの挿入歌に使えそうな曲も何曲かありました。何とかして実現したいです。
ファンにも恵まれその明るい性格で多様なファン層もあります。性格といえば高校で柔道をしていたとかで、時々豪快な笑いをして、わたしを楽しませてくれます。そんな時、もともと村上水軍の出なので、何か親しみが湧きます。水上、村上、三浦と同じ水軍仲間で、瀬戸内海の大三島神社をルーツに遡る古い付き合いを感じます。
ルーツと言えばこの間の津波で失った気仙沼市岩井崎「杉ノ下地区」の三浦一族も鎌倉以来の親族で明治期まで、産土祭(うぶすなのまつり)冠婚葬祭があると、お呼ばれで行ったり来たりしてたと、我が家に伝わっています。ルーツの話しになると長くなるのでいつかまた書きましょう。本日はこの辺で了とさせてください。
ケネディ暗殺関連文書
最後の機密 公開期限迫る
CIAは延期要請か ーー トランプ氏の判断 注目
本日の河北新報に上記のみだしで今月公開されるであろう、ケネディ関連文書のことが以下のように載っていました。全文転載します。
【ワシントン共同】1963年11月にケネディ大統領が46歳の若さで暗殺されてから半世紀余り、その衝撃の死に関して最後まで非公開だった機密文書の公開期限が26日に迫っている。
今も謎が残る事件の秘密の記録を巡り米中央情報局(CIA)が公開延期を要求しているとされ、トランプ大統領の決断が注目されている。
公開期限を迎えるのは、ケネディ暗殺に関して米政府が作成した資料のうち最後まで非公開だった文書。92年に当時のブッシュ大統領が、ケネディ暗殺に関する記録を25年以内に公開するよう義務付けた法律に署名した。
米国立公文書館によると、関連資料約500万ページのうち約88%が既に全面公開されたが、約11%は部分的にしか公開されておらず、残りの約1%の文書約3千件は完全に非公開のままとなっている。
一部米メディアは、法律上、公開を唯一差し止めることが出来るトランプ大統領に対して、CIAが25年間さらに公開を延期するよう求めているとの情報があると報道。CIAは確認も否定もしていないという。
暗殺事件について、ウォーレン元連邦最高裁長官が率いた調査委員会は64年、リー・オズワルドの単独犯行と断定すると報告書を公表したが、米政府機関や外国政府が関与した陰謀説、マフィア犯行説などが今もくすぶり続ける。
事件の全容解明を望む声は根強く、米上院司法委員会のグラスリー委員長(共和党)は声明で「わたしたちの運命を変えたあの日に何が起きたのか、米国民は知る権利がある」と全文書の公開を訴えた。
2017年10月21日(土) 河北新報・朝刊 全文まま転記 Don・Vito・Fumione
◎このことは昨年12月1日☆「カストロ議長のこと」で、もしトランプ氏が大統領になった場合はどうなるか?と予言しておきました。今後の展開がさらに注目です。
追記: 参考メデア 1 参考メデア 2 参考メデア 3 参考メデア 4
追補:【参考メデア 4】で、なぜ背後関係が無く単独犯であるはずのオズワルドが、事件前にCIAダラス支局長 J・ウォルトン・ムーア氏と会っているのか ? ここでも従来のオズワルド単独犯行説が完璧に破綻している。
2017年9月11日☆J・S・Fと阿部監督応援団の集まりとから
昨日は恒例の楽しい松竹阿部勉監督の応援団の集まりがありました。
ちまたではこれまた大イベントである、ジャズフェスの二日目と言うことで大なにぎわいと言ったところでした。
ちなみにジャズフェスの発展は目覚ましく、今回は会場のあちこちで「日本一のジャズの祭典」との声が聞こえました。「本当にそんなんなったのかなぁ」と、深い感銘を受け、やり続けることの大切さをあらためて実感させて頂きました。
回数も27回目と言うことですが、ステージ・会場の広がりもすごくて、当初は定禅寺通と勾当台公園、一番町付近だけでしたが、最近では西公園から仙台駅をはさみ榴ヶ岡公園までも広がりました。
この距離はなんと約4Kmで、ニューヨークで言うとマンハッタン島*の東西の幅がハドソン川からイーストリバーまでがほぼ4Kmなので、これに匹敵します。それほどのビッグイベントに発展しました。
*参考までに記すとマンハッタン島の南北間が約20kmで、仙台の泉パークタウン・泉中央駅から長町・富沢駅の名取川沿までの距離です。
この発展もひとえに市民のみなさまの協力と、さらに全国のプロ・アマを問わない、アーティストの熱意によるものと思います。心からの感謝を申し上げます。いずれ、これからはこのジャズフェス出演が次世代の「プロへの登竜門」**になった。と言われるくらいに成りたいと思います。
**アメリカのレーベルからオファーが来てプロのミュージシャンになる等のレジェンド・伝説
(ちなみに観客動員数は昨年より9万人増えて79万人)になったそうです。
ネットで全世界にも伝わりこれもクール・ジャパンと地方創生でインバウンドの1つになったなぁと思います。
これからも、さらなるインバウンドのテーマ・物語を構築して行きたいと思います。よろしくお願いします。
「 ヴィバ 定禅寺ストリートジャズフェスティバル! 略してJSFに God bless you 」です。
そして恒例の阿部監督の会では、今回も津田団長の「断腸の思い」から始まるのですが、その前に趣向をこらした「阿部勉映画塾」から入りました。
内容は映画界の裏話や業界の発展状況についてです。みな熱心に視聴していました。その中で私の心に響いたのは監督が若かりし頃に授(さず)かった「走るな」と言う先輩からの芸術家としての普遍的な心構えです。
かつて私も肝に銘じていた事ですが、おかしな職場にいたせいで何度か失ないそうになった事もありました。初歩的なことですがとても大切な事と再認識しました。
それで、今回のハイライトはセニョリータ先生の案内で出席していた、NHK仙台放送局の超イケメン記者さん「バルテンシュタイン・永岡 海」さんのことでした。
(バルテンが姓・永岡がミドルネーム・海が名前)のドイツ系の二世で、高身長に足が長く、さらに声が良く歌が上手いのでジャニーズ系をはるかに越えていました。
そしてここでバルテンさんをめぐる、ファンの大騒動があり、かつて三浦友和さんと自称その弟と名乗っていた三浦二三男が命、と抱き付いて離れなかった中村さんが、急にバルテンさんに乗り換えると言い出し、一緒に写真を取りまくり、周りから大ブーイングを浴びていました。
わたしも三浦二三男ファンクラブの規則違反として早速破門という処置をとりました。当ファンクラブとしては前代未聞で、いくらネタとは言え絶対にわたしを裏切らない、幼い時からの親衛隊長のE様はじめ各位に申し訳ない、と泣いて馬謖を斬りました(笑)(三浦友和さんには支倉常長役を配役すると監督に伝えてあります)
と言うようなドタバタも有りましたが、今回の監督との会談のなかで、いよいよ松竹がアマゾンビデオと提携するという話が、わたしの出色の喜びとなりした。そして今後がさらに楽しみになりました。「神に感謝します」
2017年8月Ⅰ5日☆ケネディ暗殺関連文書開示のこと
やや旧聞に付しますが、先月7月31日に、アメリカの国立公文書館の、ケネディ暗殺関連の文書が、一部開示されたようです。
以前、このコラムでも何度か予告したように、本来であれば2039年まで、封印するはずの公文書です。
それを全世界の人々の根強い関心事であること、およびその熱意に呼応して今年が二度目のプレ開示です。
正式には今年10月の予定ですが、その前段として7月31日に開示したようです。今のところ3800件の文書のうち800件で次回は3000件となるようです。
◎ 今回もやはり一番の関心事はオズワルドの単独犯行か否か、と彼の旧ソ連やキューバでの諜報活動に関心が集まっているようです。
元々オズワルドは米諜報機関(CIA等)の下部傭員の1人でした。そのため旧ソ連に亡命したり、帰国後はカストロ政権打倒の部署にいたりと、その行動にわざと一貫性のない活動を繰り広げていました。
この一見、狂った行動性をストリーに描かれ、後に「その頭のおかしい男が単独でケネディ大統領暗殺を企てた」として、ウォーレン委員会報告書の※結論に利用されました。
※(オズワルドの単独犯行で背後関係も無いのであれば州をまたぐ事はなく、管轄はダラス市警察なのでFBIは捜 査をしない)フーヴァーFBI長官。
事件から10ケ月後に、ウォーレン報告書が提出されると、フーヴァー長官はFBIの捜査終了を早々と宣言したものでした。◎FBIの捜査隠蔽工作を理解するのにはここが最重要ポイントです。
なぜ、フーヴァーFBI長官は捜査を躊躇したのでしょう ? 次はそこに触れて行きましょう。
まだまだ、深い闇は続々と続きます。乞うご期待です。
こちらに詳しく書いてあります。『J・F・K ダブル スティツ』さらに映像化も乞うご期待です。
予定 Amazonオリジナル
2017年7月7日☆七夕様と銀河鉄道「スペース エアポート」のこと
いよいよ今年も七夕祭りまで来ました。本日生まれのお二方様には先ずはおめでとうございます。つつがなくお過ごしのことと存じます。
天空祭りといえば、その昔、宮沢賢治を研究する先生から『銀河鉄道の夜』の本を頂き読んだことがあります。宮沢賢治の著書はいずれも難解で、私にとっては「南海キャンデーズの静ちゃん」なみでした。
今日はその難解な銀河鉄道(SDGs)・宇宙エレベーターがいよいよ構想段階の視野に入って来たことにふれます。
この宇宙エレベーターの優位性を端的に述べると、まず、月や火星への宇宙旅行のプラットホームになる事はもとより、直近のイノベーションでは地上の大陸横断鉄道も大洋航路の貨物船もしのぐものです。航空機もスペースシャトルをジャンボ機並みに大きくし、東京(釜石)~ニューヨーク間が30分で行けて、時差ボケも無くなります。
◎システムやメカニズムは極々簡単で以下のようなものです。
本体はカーボンナノチューブで、東京スカイツリーのような尖塔を四本10Km四方に高さ50Kmに建てます。その内側に「琵琶湖鳥人間コンテスト」での*プラットホームのようなデッキを三層階に作ります。
地上に近い一層目のデッキに鉄道駅、駐車場、貨物ヤードを置きます。そして中段の二層目のデッキに国内線の滑走路と旅客ターミナルです。ここから飛行シャトルに乗ったまま、宇宙エレベーターで次の最上階の離発着エプロンまでリフトアップされます。
三層目の最上階デッキは大気圏外の無重力なので、大きなエネルギーを使わずに、航空機をリニアカタパルトで宇宙空間に射出する事が出来ます。目的地のニューヨークにも同じ施設があり、宇宙デッキ・プラットホームに到着して、エレベーターで大気圏・地上に戻ります。
これによって「地球の自転の慣性の法則と大気圏突入時の摩擦熱から逃れられる事」が最大のメリットです。
(貨物輸送も宇宙ロケットの発射も同じ原理)です。
*空母の飛行甲板を四角にしたイメージで地上・中空高度(8km付近)・成層圏(50km以上)の三段デッキ構造
【商標登録・特許・使用権】コスモス企画
日本側の施設を釜石近辺から遠野あたりに設置して銀河鉄道「日本三陸aerospace」の始発駅にします。
宇宙レベーター Galactic system 以上です。
追伸:7月18日生まれの方もお誕生日おめでとうございます。つつがなくお過ごしください。ふみお君
【 My dream come true, at was Utatu Junior Highschool student.】
2017年6月25日☆国際リニアコライダー「 I L C 」のこと
「 I L C 」については、トンペイの理学部の先生と連絡をとりながら、推移を見守っている所です。被災地、地元の方々からも「何時なんの、いつなんの」と催促されますが・・・専門外の悲しさから、歯切れの良い三浦節で、断定出来ないでいるのが何時もの残念事でした。
まっ、それだけ被災地、地元でも復興第二段・パートⅡの1つ、地方創生(SDGs)のひとつとして期待しているものと思います。
さて、そんな中、今朝の河北新報・一面トップに「 I L C 全長20キロに短縮」とのタイトルが載っていましたのでお知らせします。
内容は、本来、フル規格が目標ですが、予算的な処置として初期投資を少なくし「ダウンサイズングからでも、先ず始めましょう」と言うことで「小さく産んで、大きく育てたい」との意向のようです。大歓迎です。よろしくお願いします。
リニアコライダーというのは「物質科学」ですが、ふつうに考えると、人工的に電子と陽電子を連続的に衝突させて、その時の素粒子の動きをデータ化して初期宇宙の成り立ちや、ダークマターetc.物質の組成とかを探求する研究です。その事により将来的には新素材の開発や、未知の物質を加工するヒントが得られ、先進物作りの国として、また、さらなる牽引国としての役割や地位が保てます。
(中国ではこれに負けじとさらに大きい施設を検討中とのこと)
また、新素材といえば(SDGs)「素材科学」ですが、いま構想されている電導宇宙エレベーターのナノカーボンも、東北大学によって作られた新素材です。この宇宙エレベーターをなんとかして、岩手県沿岸部に作れないかと構想しています。
宇宙科学技術についてはかつて岩手県三陸町綾里に気象観測用ロケットの発射基地がありました。いまは漁業権かなんかの関係で種子島に移ったようです。
これにはひとつの思い出があります。アポロ11号が月面に到達したのが、高一の夏休みで水泳訓練の最中でした。アメリカの大偉業には感動を受けましたが、水泳訓練にはたいへん迷惑しました(笑)。その二年後高三の夏休みに善昭君に誘われ、彼のヤマハ X S 650に二人乗りし、遙々と綾里の発射施設の見学に行ったことです。
( その帰り道に善昭君に強く促され、今の教会あたりにバイクを停めてTさんちに寄りました。そのときは会えませんでしたが・・・God Bless You)
その当時は日本の宇宙基地はここしか有りませんでしたので、当然、ここが発展して行くものと思っていました。しかしその後施設がよそに移り何の恩恵もなくなりました。そんなこんなで三陸地方、岩手県沿岸部の発展の一助に(SDGs)ナノカーボンの宇宙基地を構想しています。
そうなると「被災地だから鉄道施設はいらない」なんてノッツオ犬の寝言並みの戯言は止めてもらいたいです。
【祝福された約束の地、乳と蜜の流れる里・学術創生エリア・イノベーション特区】
◎「研究者の聖地と楽園」 聖書・宮澤賢治と大江先生の言葉から
2017年5月26日☆ウォーターゲート事件からロシアンゲートのこと
昨年はどこかの国でチェなんとかゲートとか言う事件が発覚して、結局、大統領が弾劾のはこびとなりました。
すると今度はロシアとアメリカに飛び火してロシアンゲートだそうで、ゲート【狭き門より入れ】がいつの間にか広き門になってしまいした。
そしてこのオリジナルの「ウォーターゲート事件」が発覚したのが1972年6月17日のことです。
当時、マスコミも連日してこのアメリカからの大スキャンダルを報告しましたが、事件は一向にして判明せず、結局、結論は不明のまま「どうやらニクソン大統領が任期半ばで辞任したようだ」と竜頭蛇尾で終わりました。
そのため日本ではこの事件の真相を知って語れる者は未だに皆無という状態です。まさにケネディ暗殺事件と同じ状態です。
結論から先に言えば、今回も話題になっているホワイトハウス内の録音テープの中身ですが、この当時はケネディ大統領暗殺に絡む会話の内容が問題だったのです。そのテープを議会から提出を求められたニクソン大統領は60数巻のうち18巻しか提出できませんでした。
そして、それらのテープの中にケネディ暗殺に関与する会話の箇所があったのですが、証拠隠滅のため意図的に消去しました。しかし、やがてその行為がバレてしまい*、いずれ下院の弾劾が始まるので、苦渋の中で大統領職を辞任してしまいました。
*(この時の消去の過程がリアルで物語的に圧巻なのです)いづれ書籍や映像にします。乞うご期待です。
当時、ケネディ暗殺後にRICO法が制定されたためシンジケート関係者と一緒にいただけで罪に問われました。まして、ケネディ暗殺に絡む隠蔽話などを国民に晒されたら、ニクソン大統領そのものが暗殺されます。それはケネディ兄弟の扱いをみれば組織の意向は暗黙の了解です。
だから、ニクソンは弾劾前に、事件の内容に触れない声明文を読み上げて、辞めるしかなったのです。
今回のトランプ大統領のテープはそれほど深刻とも思えませんが、それともなんでしょうか、彼もイタリー系です。ケネディ暗殺については肌で知っているはずです。なにかその辺に触れる件でも出てくるのでしょうか。成り行きを見まもりたいと思います。
これらに関連する話題はこれからが佳境です。*ケネディ暗殺・ウォーターゲート事件・ロッキード事件のテーマは皆さんが納得いくまで解説して行きましょう。乞うご期待です。
*Thre An Inconvenientes Truth,From was Japan.(日本発・三つの不都合な真実)
2017年4月29日☆歌津民俗資料館とポスドク支援について
写真は秋吉君です。1975年の河北に載ったのを私も鮮明に覚えてます。そしてまわりの人にも自慢したものでした。偶然、本日の朝刊アーカイブに再登場しました。次男君も喜んでくれるのではないかと思い掲載してみました。
二か六学級で一緒だったそうです。六だとすれば昇降口を挟んだ隣で八賀先生と賢ちゃんもいました。当時、毎日が「華の歌中」限定の部外秘ですがとんでもないエピソードの連続でした。今となっては懐かしくも多少のリグレットも混じり赤面するばかりです。ここに改めて八賀先生の今後もご健勝にまたご長寿であられることを祈念させていただきます。
当時、先生は新婚で今の「歌津民俗資料館」裏手の校長宿舎に白鳥教頭先生が出たあとに住んでいました。のちに留さんや新治君たち数人が「御詫びのしるしにと」獲った魚を持って訪問したそうです。しかし、御詫びだけでは気持ちが済まないので、みんなでシャベルを持って官舎の側溝掃除もして来たそうです(笑い)
今日はその民俗資料館関連とポスドクの話です。
ちょうど期待の山本地方創生大臣の神に導かれるようなチョンボ発言も重なり逆にタイムリーのようです。
かの民俗資料館*は私達が歌中に入学したころは、志津川高分校の建物でした。のちに家政学院となり多くのOGが登校していたのを見かけました。そしてこの秋吉君の写真のころには教室が使われなくなったようなので父に頼んで、民俗資料館を置いてもらうようになりました。
*(偶然、この津浪で有史以来の三陸沿岸部の民俗的文化資料があらかた流され失われました。そこにさいわいにも歌津民俗資料館が残り、今となっては大変貴重な資料となりました)
それから幾星霜、この震災のあとに訪れてみると、庭前に展示していた「早波船」も長年の風雪で少し傷んでいました。「この大国難のさいで仕方ないな」と思っていましたが、あれから復興六年と言うことで、自分に出来る事だけでも、と思い動き始めました。
実は自分もあの震災がなければ数年前にドクターコースを終え今頃は「博士論文」の審査も通っていたのかなぁとの思いでした。わたしの場合はまだ「オーバー マスター」のままです(笑い)
いずこも同じですが、学門・研究の世界は資金が必要です。それを見越してNPOなどを作り資金集めを心がけて来ましたが、やはりバイオの研究はもとより、経済学、小説でもその資料代だけでも膨大です。さいわいバイオの「君香」で大分助かりましたが、回りからの支援も「カタジケナク」思ってる次第です。
そんな訳で同じく博士号を取った若手の研究員で所属先のない人をオーバードクター「ポスドク」と言います。これは端的に言って国家の損失で、以前から気にかけていました。
そこでこれからのCSR活動として理科教育と学術振興を加え、ポイント寄付や自分の印税を活用するポスドク支援を試みることにしました。
まず当面の目標はオーバー学芸員の活用で歌津民俗資料館にボランティアや研修学芸員を派遣することです。
次に魚竜館での化石と地球環境の変動研究*を充実拡張させるために、ボランティア学芸員やインターシップの派遣へと目標が続きます。(宿舎予定)
*各年代の地層岩石を粉砕し含有植物花粉を抽出・当時の地球環境の特定と未定の生態系をサンプル化する研究
☆海洋プランクトン・動植物の卵種子の化石・プラントオパール(SiO2.nH2O)などのお宝探しです☆
(歌津で三陸地方の文化や地球環境のドラマが楽しく学べるジオパーク自然史博物館・公文書館を目指します)
◎三陸地方のバックボーンである北上山地はデュポン紀から白亜紀(約4億2千万年~6千万年前)までの地層が揃っている世界でも珍しい地質構造で絶好の研究対象地域です。
これらはクールジャパン*地方創生の一環ですので結果は直ぐに表れるものではなく学門と同じで地道にやるしかありません。一重に皆さまのご理解とご協力が必要です。根気良い地元の皆さま 早速の試みですが(サマースクールやウィンタースクール開催)などの誘致でも全国・全世界からも集客が出来ます。今後ともよろしくお願いします。
*新な付加価値や創造物は重層な文化の中に生じる=米国の文化も多様な移民が各々の優れた文化を移入した物
◎聖書の「永遠の命」生命科学・バイオの(全細胞ゲノムの進化と変遷をデータ化する)研究と観光産業の両立で、未来永劫続けられ医学的にも(SDGs)「持続可能な開発目標」で新発見の度に発信出来ます。その都度世界中から人が集るし、宇宙人も立ち寄ってくれるかも知れません。「乞うご期待」です。
◎ちなみにわたしの論文のテーマは「日の本一銀行の総裁が謡う黒田節」*1の経過と「日本経済にイェーイと エールを送ったイェール大学の浜宏節」*Ⅱの変遷と検証にもふれます。これらは以前にネットでも多少触れ て来たところです。以上です。
*注
*Ⅰ「毎回・景気はゆるやかな回復傾向にある」黒田節
*Ⅱ「金融緩和だけではダメ・財投もヘリマネも必要」浜宏節
2017年3月15日☆西郷さんの「政府に尋問の廉有レ之」の事から
この「政府に尋問の廉有レ之」という言葉は明治十年二月に西郷さん達が、新政府に対し異議申し立てをする際に鹿児島から送った、率兵上京通告奏文の冒頭部分です。
これがそのまま西南戦争の宣戦布告文となってしまいました。
その遠因が今だに片付かず、解決策に多大な時間を浪費しています。宗主国の中国がアヘン戦争でイギリスの植民地にされた(天保12年)から約35年後ころの事です。
つまり、暴走する北の三代目による迷惑行為・朝鮮半島不安定要素のことです。連日のように核だミサイルだと騒がしく、その度に避難だ、電車が止まるだ、と我々一般ピーポーには関係も無いのに迷惑で、生産活動にも邪魔が入り、この後には「営業妨害された」*と言うことで、国おろかパーリーピーポーからでさえも「永久に心からの謝罪と賠償を請求する荷駄」とかなりそうです。
* 迷惑行為防止条例違反(混乱誘発行為禁止)
もともと休戦状態とはいえ六カ国協議にも応じず♪「何が不足で 大利根暮らし」*Ⅰ(天保水滸伝)かで理解も同情もしがたい行動を日々繰り広げています。
*Ⅰ平手造酒 唄・大利根月夜 で♪「世が世であれば」と、名ばかりの社会主義をかざしながら、実質は古臭くてカビが生え、この「人類が火星に移住云々とか言う時代」に、もはや時代錯誤で*Ⅱオワコン状態の、封建的社会主義(?)♪「今じゃ 今じゃ 落ち目の~ 三代笠」の体制を守ろうとしてます。
*Ⅱ 終わったコンテンツもしくは終わったコント
協議国も安定後の資金的面倒や関わるのさえ嫌で、いずれも腰が引けて「三竦み」ならぬ「六すくみ」になっています。♪「鐘がぁ 金がぁ~ 鳴る無い ◯円寺」? しかし、核問題などでこのままで済むはずもありません。
そこで拉致被害者の未帰還や武力衝突後とかを含め平和安定策のため以下を提案しまます。
まず、冒頭の「政府に尋問の廉有レ之」と言うことで、国連が本人を安保理に呼んで、これまでのたび重なる安保理決議違反や深刻な人権問題(三代合わせるとヒトラー・ナチスを越える民族のジェノサイトか?)、さらには他国マレーシアでの殺人教唆と指示の罪状を尋問することです。
そこで応じなければ上記罪状に加えVXガスの製造違反と言うことで、国際指名手配して国際刑事裁判所に逮捕状を委ねます。抵抗のさいは物理的処置も考えられます。尋問に応じかつ刑に服すなら亡命もありです。
♪「国じゃ 故郷じゃ 妹がぁ〜 松雪よ〜」
次に指導者なきあとの国体の運営です。それには住民自治が基本ですが、最長二十年後に南北統一か二国並列かを目途に六カ国協議による「改革解放策」を推進します。
政体としては国連による信託統治として六カ国協議国で代表者を出し、最初の代表に前国連事務総長・パン ギムン氏が経歴上適するのかと思います。三年ごとに六カ国協議のメンバーで代表の交代です。そうして二十年以内に統一か否かを住民投票できめます。
統治形態はまず、国土を東西に線引きし、さらに北から南に三分割して六州・(道)にして北西は中国・北東はロシア・首都平壌がある西中は北朝鮮・その隣の東中は日本・板門店がある38度線から上の西南は韓国・隣の東南は米国と六カ国代表が道知事で民政を行います。
国連の尋問と信託統治の目標
1 速やかな人道・人権の調査回復
2 住民自治による改革解放策の推進
3 核実験・ミサイル・化学兵器の査察
4 過剰な軍隊の縮小・武装解除
5 苛酷な兵役の解消・兵士の帰農
6 独立または統一に向けた民主化・経済の自立化 など
西郷に(最後)、かの国では「征韓論」と言うと、さも露骨な植民地論争があったものとして極端に忌み嫌いますが、西郷さんの座右の銘は「敬天愛人」で決して朝鮮を支配しょうなどとは思っておりませんでした。
その逆です。むしろ、英国に植民地にされて、まるで半病人のように横たわる中国をみて、次は満州(現中国・東北部)及び朝鮮半島が、南下する帝政ロシアに蹂躙されると危惧して、朝鮮に「しっかりして話しを聞いてくれ」と説得、警告に行こうとしたのです。それも(単身単独)です。
しかしその勅許が直前に大久保利通によって反対されたことが原因となって西南ノ役「政府に尋問の廉有レ之」となったわけです。朝鮮半島・中国東北部の安定を巡る論争から、薩摩軍と政府軍の多大な犠牲の基での国内最後の内戦となってしまいました。
因果は巡る*ではありませんが、西郷さんの気持ちは「朝鮮よしっかりと自主独立して独立独歩してくれ」が本音でした。その気持ちは明治維新から今年で150年、それ以前、広開土王碑や白村江の戦い、元寇時代からも変わらない、近隣国としての総意・「隣人愛」(汝の隣人を愛せ)でした。
◎重要な事は仮に我が民族の1人にでも危害を加えれば貴民族とは未来永劫に交流は無くなると言う事です。
(ただし損害賠償はこれ迄の分と南の慰安婦像の条約違反と風評被害分も含め統一して請求される事になる)
*「因果は巡る小車で」と仏教用語ですがあります。確かに生き物ですから先代のDNAからはみ出せません。
だから封建的社会の世襲は良くないと先進的民主義国は気付き時代に合うDNA・代表を選挙で選のでしょう。
そして選ばれしリーダーが賢こければ一般ピーポーも自由に文化的で人間的な生活が享受出来るのでしょう。
さらに、聖書の主を信じ「悔い改める」と悪因から逃れる生物の進化と突然変異も大いにあると思われます。
結論として決して「民族キャベツや大恨もロールキャベツにして煮ても焼ても生でも食ってない煮だ」です。
そんないつまでも天下のいなかっぺ大将ならぬイナカッペ将軍して ♪『悲しき願い』で♪「話し合えぬ、初めから、みんなオイラが悪いのか〜」♪で果たしてどう「残念ピーポー」*の福祉に結びつくのでしょうか ?
と言うことでいち近隣国の名もない一般ピーポーの慨嘆でした。了
*なにをやっても結果は裏目にしか出ない「残念な国」の一般ピーポー&ダメンズリーダーのこと。
2017年3月31日・追記メモ(備忘録)
3月10日 米国 デービッド・ロックフェラー氏 死亡
3月19日 仙台 岡・トミ氏 死亡
以上 今月二人の歴史に残る方が逝去されました。ロックフェラー氏は3月10日で卒業記念日です。岡トミ氏は3月19日で私の母の誕生日です「忘れないでね」とのメッセージでしょうか。いずれお二人のことも書くことになります。今はただお二人のご冥福をお祈りします。合掌
2017年2月25日☆地方創生チャレンジミーティングのこと
本日、仙台国際センターで「地方創生チャレンジミーティング」が、山本幸三担当大臣の出席のもとに行われました。
会合は日本各地で催され先週は福岡、今回は仙台で来月には名古屋だそうです。はじめに山本大臣の基調講演があり引き続き質疑応答となりました。軽く一時間をオーバーする熱演となりました。
休憩を挟んで、各地の取り組み状況が発表され、熱意の伝わるプレゼンでした。
地方創生はわたしが30年も前から発案していたテーマでした。きっかけは国の食管法廃止が永年燻っていて、いずれ実施に伴う地方衰退の危惧が大きかったからです。(実施は1995年)
案の定国に見捨てられた地方は現在の姿になってしまいました。
しかし、嘆いてばかりもいられません。ようやく「地方をどげんかしなければなりません」と動きだしました。
見通しは有っても未来永劫に続くテーマです。1つひとつネバーギブアップでやって行きましょう。「国土の均衡ある発展」と言うことでエンドレスの目標です。
郵映放送・TVも同じ目標です。力を合わせてやって行きましょう。以上です。
2017年2月13日☆阿部監督の大新年会
昨日、阿部監督の新年会がありました。今回は特別企画として監督の映画塾・オーディションも前段で行われました。
なんでも津田団長のお話では以前にも開いた経緯があるそうですが、わたしは今回が初めてでした。
参加者は「劇団ひまわり」のメンバーで、とても初々しくて、かつ新鮮な演技に対する取り組む姿と意欲を見せていただきました。
「これからも続くといいなぁ」と思ってきました。演技指導を見るのは書く側にもとても勉強になります。今後も乞うご期待です。
2017年1月1日☆年頭ご挨拶
郵映放送・TV です。明けましておめでとう ございます。本年もよろしくお願いします。
二年ほど前から試験的に始めていましたが、これからいよいよ、スマートテレビ「SNS」が主流になるのと、さらに来年からテレビの4K・8kへの移行が始まるので、当郵映放送もボチボチ動き始めました。
主旨は君香ショップの宣伝や、コスモス企画のプロモーションをするためです。あとは地方創生の一環で郵便局の営業支援・物流の活性化とサポート活動のためです。
また、それらの広報・宣伝やクールジャパンを推進するにともない、コンテンツの製作・ドラマ・映像の制作をします。現在、スマートテレビやアマゾン ファイヤーTVでも、放送と通信が融合したコンテンツが楽しめるようになりました。
これからは職場ではパソコンで、家庭ではスマートテレビで、さらには外出先ではスマホなどで、どこにいても同じサービスが受けられる時代になりました。そこで、このライフスタイルを全世界に広める事と、また、関連の新しい産業の創出や、諸外国に向けた日本文化の発信やプロデュースをするために、当テレビをスタートさせました。
「郵映放送・TV」は相互通信が特徴で「SNS」の優位性を活かして海外展開をする事が当初からの目標でした。ようやくスタートラインに立ったばかりですが、来たるべき「どこでにもAI」・「ユビキタス」産業時代の、プラットフォームとして歩み続けたいと思います。今後ともご理解とご愛顧のほどをお願い致します。