2024年 ゴッドファザー逍遙記
2024年11月3日 ☆ 野球の天使が舞い降りた ほか
今月の二日から四日まで、多賀城の南正門復元工事に伴う、プレオープンで一般公開があり、三日が文化の日なので訪ねてみました。グランドオープンは四月の予定です。
最近は文化という人類にしか築けない、偉大な事蹟を深く考えさせられる日々です。「もしトラ」も実現してそれに期待するプーチン氏や習氏、金氏に哀みを覚える故です。
その心は彼らと同時代を生きるとも、その学ぶ学問の違いで、これだけの格差が着くことに、その国の教育なり文化なりが、いかに国民に損害を与えるかを思うからです。
少し前に「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネージメント』を読んだら」・「もしドラ」という映画が流行ましたが、今度は私なりの「もしもプーチン氏がドラッカーを学んでいたら」※というテーマです。
※ちなみに東北大学の元経済学部長の大滝精一先生は、日本にドラッカーが入って来た時、学生でしたがいち早く研究者になり、学部生からそのまま助手になり、院生を経ないで教授になり学部長になりました。
今、ロシア中央銀行の貸し出し金利が21%だそうです。そのため国内企業もあまりの高金利で新規事業の、設備投資のインセンティブも湧ないような状態です。その意味は銀行から21%で融資を受けて事業を展開しても粗利益が22%出ないとビジネスが成立ぬからです。どんな事業をしたら22%の利益が出るのでしょうか。
その昔、同じことをしたヒトラーが、戦争資金に困り企業家に強制的に戦時国債を買わせ、転売不可にしたと経営学者のピーター・ドラッカーが書いています。このまま行けばプーチン氏も同じ道のりをたどり、市中のお金を巻き上げざるを得ないので、国民全員に国債を買わせるでしょう。または金持ちの北朝鮮から借りるかです。
彼らは社会主義を学びましたが、残念ながらマルクス経済学では,分析出来ていない領域のはずです。学ぶべき部門・カリキラムが片寄ると、独裁国家ではプーチン氏や習近平氏、金正恩氏と同じように、思考にバイアスが懸かり、かつての日本の陸軍と同様に、国民を不幸のどん底に引きずり込むようです。
特に「プー習金」の独裁三人組は主を信じないので、マスコミを使い、その場しのぎの良い事めかしを言って、何事かをしても上手くいきません。むしろそのため天は彼らが大いに恥をかくように、全てが裏目に出るようにします。もしトラで三人が生長らえたいならば主を認め「悔い改める」しかありません。
これは作家 三浦二三男の小説「ヨハネの黙示録」ー蒼き馬を見よー 全六巻よりの一部抜粋です。
と、言う事で、ここまで、家人いわくの「歌津調」ぬきで書きました・・・北杜夫さんに「マンボウ調」があるように、私にも『歌中ギャグ』が元祖の「歌中調」もしくは『歌津節』からくる「歌津調」があるのです(笑)
19日、ソニーグループがKADOKAWAの買収提案を公式表明した『J・F・Kダブル スティツ』の映像の可能性。
エンジェルスからドジャースに移籍した大谷翔平選手が、自身初のメジャーリーグでワールドシリーズを制覇しました。おめでとう御座います。
さらに今年は、前人未到の50ー50を達成して重ねておめでとう御座います。その前年は野球の神さまベーブルースを越える、投打の二刀流で年間十勝以上を達成しました。
彼の意識と力がその他のプロでも追い付けない高みに到達するんですね。改めて人間の進化に驚嘆している次第です。ぞくに言う「やれば出きる」と言うことでしょうか。
「勝つための手段その数が増えれば勝つ確率も高くなる」大谷翔平選手の言葉です。名言だと思います。
と、いう位しか私には評価出来ませんが、ただ、彼が2021年にロサアンジェルス・エンジェルスに移籍した時、これは天の思し召しで「野球の天使がロサアンジェルスに舞い降りたか」と思いました。
それはLos Angelesという地名はスペイン語ですが、英語だとLost Angeles 「ロスト エンジェルス」にもなり、それは「天使が舞い降りる」となるからです。ちなみにLosはスペイン語で、英語の定冠詞のTheになるのだそうです。元々とこの辺りは米国の建国後もスペイン領でしたが、のちアにメリカ領となりました。
それにつけても大谷選手の野球にかける思いは「野球少年」そのものでこの度の活躍も野球の「エンジェル」に見込まれた成果なのかなぁ、と勝手に思っている次第です。いつかシーズンが終了したら、歌津の平成の森球場を「懐かしいなぁ」と訪ねてほしいです。歌津の「平成の森球場」も「野球の天使が舞い降りる所」なのです。
2024年10月8日 ☆ ほやほやのホヤ祭りと阿部監督応援団
十月です。大学も長い夏休みが終り、シブシブの登校です。気持ちは先生もおなじで、ヤレヤレ授業が始まるかぁ、後期の講義の準備も始めなきゃ、と憂鬱で「市場に売られ行く子牛の心境」なのです。
先生にとっても夏休みは至福のときで、自分の研究やあまり知らない学会の方から声掛けのあった会合に、いそいそワクワクと出かけられる季節なのです。ここで新しく新鮮な知見を得て、自分の研究に活かすのです。
写真は六日に勾当台公園であった、六回目の新鮮ほやほやのホヤ祭だったそうです。むかしから天然ホヤは歌津の名物でした。私もホヤ引きに父と行ったことが何度もありました。
このホヤ引きが上手くなると、一人前のアワビ漁師になるのだそうです。私は大したことはなかったですが、伊藤博士が歌中に入学する時に着てきた学ランは、ひとつ上の克彦氏とホヤ引きに行き、稼いだお金で自分で買った物だと言っていました。
小学六年生の時です。洋上は寒いので船上ではガンガン火を炊いて、克彦氏がアラーの神に祈祷の言葉を捧げるだそうです(笑う)。私はその伊藤氏のガッツ・根性と頭の良いのに感心して友人になったのです。四学級の話で私の前の席が物作りの天才・政春氏です。そして後ろが伊藤氏、その後が最近亡くなった佐々木弁慶氏です。
ホヤは今、養殖物が一般的ですが、確か宮城県で最初に養殖を始めたのが、やはり四学級の田ノ浦のM氏と記憶しています。彼には出演交渉の了解を得てないので、通称(松)にしておきます。海産物のことを書いたので、ちなみに浜に捨置かれた「ワカメのめかぶ」※が絶対に売れるからと、プロデュースしたのがかく言う私です。
※メカブは今では日本の食卓に納豆と共に欠かせない食品となって久しいですが三十年位しか経っていません。
さらにホヤのことでトピックスがあり、甲南大学が脊椎動物の頭脳の研究で、どうやら我々が脳を持ち始めたのは六臆年前のホヤの先祖が嚆矢と、英国のネイチャーに発表して認められたようです。24日(木)河北新報
◎「食べると頭が良くなるかも」です(道理で伊藤博士や善昭氏、歌中の連中は頭が良かっんですね)日本全国の皆さん、これからホヤをいっぱい食べてノーベル生理医学賞を貰いましょう(笑)
その他に気仙沼の「フカヒレ」は中国への輸出品で、地元ではその食べ方も知りませんでした。この事を陸軍時代に中国に十年近くいた父に話すと「向こうで食べていた」となり背ビレと尾ビレからフカヒレを抽出する方法を伝授して、約四十年くらい前から地元気仙沼でも「フカヒレ料理」が出せるようになりました。
そして、真打ちのアワビ料理「うたつ干鮑おもてなし」の料理方のエピソードです。これも岩手県の吉浜の乾燥鮑は中国向けの輸出品で有名ですが、悲しいかな日本の地元ではそれを柔らかくして食べる方法が分りません。そこで私がその方法を研究し出来るようにしました。ただ、こちらは企業秘密で非公開です。あしからずです。
と、言う事などを家人の僭越四国先生に話すと「なんでも自分がした」と言って「俺俺鷺だ」と言われるので、いやいや「御前御前鶴だ」と返しています。私は普段から司馬さんの顰に倣い※自分の事は語らないポリシーが在ります。しかし震災以降このまま三陸が歴史に埋れてしまうのが、実に偲びなく書く事にしました(笑う)
※(ひそみにならう)と読む・てなことで、これらのスキルも今後の三陸の産業振興や復興プラン、或いはふる里納税※の返礼品に組み込みたいところです。そして三陸地方を「災害と復興でユネスコの人類世界記憶遺産」として登録したいとろです。そうなれば中国だけでなく、世界中から食レポに来て頂ける事と思います。
※気仙沼市の「ふるさと納税」の寄付額が、昨年は95億円で全国12位のランクだそうです。全国の皆様感謝致します。これに加え三陸・気仙沼を巡る民泊やホテルの宿泊および、寿司、蕎麦、ラーメン等と名物飲食店のグルメ回数券なども「三陸宿泊食べ歩き周遊券」の「ふる里納税券」として返礼品にして行きたいと思います。
するとこの度の震災も地球のパンゲア・プレイトテクトニクス理論により、地殻変動活動の一環として起きた災害だった事を、全人類に地球上何処に居ても起りうる震災だと、プレゼンし災害を忘れぬよう記憶に留めておけます。それが復興の際に全世界から頂いた、励ましと援助へのささやなお返しです。よろしくお願いします。
さらにこれが逆転の発想で災害の発生当時に作家 三浦二三男が「日はまた昇る・ネバー ギブアップ」と皆様を鼓舞した答えです。
【イスラエル共同】十七日、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治区ガザ地方で戦闘を続けるイスラム組織ハマスの最高指導者、ヤヒヤ・シンワル氏(61)をガザ南部ラファで殺害と発表した。七月にはイランで前最高指導者ハニヤ氏が殺害されて続く二人目となる。イスラエルはテロ及び拉致の指導者と見て実行のもよう。
二十日に阿部監督応援団の集まりがありました。写真は阿部監督が「続日本映画の未来を語る」というタイトルで公演を始めたところです。
タイトルのネーミングは津田団長の発案だそうで、なかなかセンスを感じる題名です。日本史の中にも「日本書記」があり、次に「続日本記」あります。(ショクニホンギ)と読みます。
なんでも団長いわく、この「続く」を入れると監督が永遠に映画の事を語り続けられるのだそうです。この話で監督も全国行脚して公演ができます。グッドアイデアですね。
そして、いよいよ、恐怖の断腸の思いです。昨年これで、私と大宰さんが、相当の寒さを感じ、寒イボ処じゃない、免疫系統にもヒビが入りコロナで高熱を発したのでした。
さらに私に至っては二週間寝込みました。今回もそうとうの風速と、最低でも震度七は来るだろうと、私はテーブルを掴み、その寒さと揺れに耐え抜こうと身構えました。
すると、今年は監督がいかに「再建上手」かという話で、日本映画とバラライカを見事に再出発させたとの話になり、 風力は石原裕次郎の映画「風速四十米」とまでは行かない、39メートル位で済みました。
そして、震度も五弱ぐらいで、せいぜいテーブルクロスがずれる程度ですみました。その後も「団長の思い」のギャグは続きましたが、最初の揺れで免疫も着き深刻な被害はありませんでした。クワバラ クワバラでした。
監督の公演もアニメなどの国外での放映の隆盛から、国内のクリエイターの労働関係など製作上で、気を配らなければならい事などを指摘していました。すると翌々日の河北新報にも「邦画海外進出の好機」として同様の記事が載り、その中で東宝の松岡宏泰社長の「国内の同業他社作品の海外配給にも意欲を示す」とありました。
これは以前、私が書いた「ネットフリックスや、アマゾンビデオに対抗できるサブスクの構築」をと述べましが、ソニーエンターテイメントやNTTのLeminoに続くサービスになるかも知れません。松竹にも頑張って頂きたいですが、まずは津田団長と私とで創設した「日本映画を支える会」=日本映画界の快挙と致しましょう(笑)
今回の集まりで、みな等しく心に有るだろうなあぁ、と思って参加しましたが、それをより強く持っていたのは、写真の瀬成田先生です。
それは冒頭の監督の「続く日本史発掘」ではなく「続日本映画の未来を語る」での質問コーナーでもありましたが、それは、本当に急逝した「西田敏行」さんのことでした。
西田さんは松竹の『釣りバカ日誌』や『学校』でも有名ですが、監督の話では「その学校を撮るころが一番悩んでいるように見えた」とのことでした。
瀬成田さんはその学校の先生を長い間勤め、著書『いのちがまんなか』まで出版しました。これはあの3・11で共に震災に遭った、七ヶ浜中学校での生徒さん達との話です。
そして今回も友情出演のバラライカのメンバーをバックに西田さんの♪「もしもピアノがひけたなら」♪を相変わらずの美声で聞かせて頂きました。
そして先生の寂しさがしみじみと伝わりました。わたしも迷惑ばかりを掛けていたであろう、多くの恩師の姿を思い出し、しんみりと聞かせて頂きました。
文藝春秋社 長編松本清張賞応募 『ヨハネの黙示録ー蒼き馬を見よー』パート四 300枚が22日に脱稿したので送ります。これでパート1〜4まで1400枚で、来年にパート5の300枚を加えて合計1700枚になります。(二十九日に文藝春秋社へ添付ファイルで送信済み)
すると紫式部の『源氏物語』全巻54帖=1500枚を越えます。次は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』全六巻3000枚が目標です。ただし、ロシアとウクライナの戦争及び、イスラエルとハマスの争いの行方次第です。
AI Chatの能力がまだ幼稚な今のうちに、それでも追い付かれないように、全て自筆で書いています。
PS.「北朝鮮がロシアに一万二千人派兵」だそうです。受ける側のロシアのペスコフ大統領報道官は「嘘だ言いがかりだ」としてます。彼が否定するなら真実のもよう。一万二千人と言うと一個師団編成の軍隊です。ただ、二十四日にクルスク州の最前線に移動中、オリョールの地点でウクライナのドローン攻撃に逢ったもよう。
昔から一万二千人は一個師団でちょうど、加賀百万石が整えられる編成です。仙台だと七千人位と石高によって兵制はローマ軍の時代から決まっているのです。逆に動員は変遷は有りますが一万石につき百人の目あすで普段は奉行所、郡役人など行政事務を勤める武士の仕事をしている人が召集されます。
これは軍隊の班制度からきてます。そう、私たちも学校でやったように当番制度の原形なのです。毎日誰かが黒板消しを鞭でパンパンと叩いたり、学級日誌を付けたり、生き物係がいたりと、みな交代でクラス運営をしたものが、軍隊の週番制度です。そのため軍隊でも一班に兵隊が七人で、兵長 、伍長、軍曹の下士官が班長です※
※基本 二つの班で一個分隊→二つの分隊=四班で一個小隊→少尉が所掌(統率)三〜四個の小隊で一個中隊→中尉が所掌 三~四個の中隊で一個大隊→大尉が所掌 三個の大隊と連体本部・一諸隊を合せ一個連隊→大佐が所掌 連隊が二個で一個旅団→少将が所掌 旅団が二個で一個師団→中将の所掌・合計九千人〜一万二千人規模です。
これはどんな軍隊も野営が基本ですから、誰かが寝ずの番「歩哨」に立なければならず、交替要員に一班に最低でも一週間で七人が必要なのです。これが連隊の駐屯地だと数ヶ月単位で週番が回ってくるのです。これは朝廷の北面ノ武士も鎌倉幕府の侍所も同じです。で、今も軍の三/一が消耗するとローテが出来ず壊滅となります。
いち侍の行政・司法の例として江戸幕府では北町奉行所と南町奉行所が、一週間という慣習がないので半月交替で検察裁判事務を行っていました。月初めに北町奉行所の「銭形の平次親分」(神田明神下)が下手人を捕まえると、月後半には南町奉行所の「簑亜の親分」(有楽町)が「ティ変だぁ、ティ変だぁ」走り回るのです※
※桓武天皇が始めたと言われる平安朝の「検非違使庁」では一ケ月交替だったそうです。
そして休んでいる半月の間に検察調書をとり裁判に掛けるのです。するとお白州の奥座敷では遠山の金さんが、桜吹雪の片肌をいつ脱いで晒しても良いように風邪を引かないよう、火鉢にあたりながら安倍川餅などを頬張って、ひたすら出番を待っているのです。チャン チャン
というこで、鎌倉幕府や江戸幕府の幕は野営のテント、幕藩体制の藩の元の字は班で、進駐した地域の行政・裁判・人事を朝廷の代りに、幕屋の中で行うので、その軍の総元締め・征蝦大将軍が、従二位で「幕府ノ将軍様」なのです。
2024年9月1日 ☆ また歌津で新種の化石が発見されました
災害からの復興というのは中々難しいものです。十年が過ぎ社会インフラの回復は日に日に感じられますが、心の痛手はそうもいかないのが実感です。「災害は忘れてはならぬもの」故に余計に難しいものです。
そんな中「嫌な事は全部背負い投げ」と言うのがありましたが、あの当時も大吉があったら瓦礫の山も「アレも大吉コレも大吉、全部大吉がお買い上げェ」で引取って貰ったら、ドンダケ〜復興の足しになったやらです。
そして今、復興のプランⅡとして高速道路を八戸まで開通させ、観光客を呼び復興の形と成果を見てもらおうと、バックパッカーや旅行者をもてなす民泊並びに、大手ホテルの営業に寄与しようと心がけてきた所です。
そんな観光の目玉のひとつして、歌津魚竜から始まった当地でまたまた新種の化石の発見があったそうです。やはり歌津は「約束の地」のようで天に感謝です。なので気仙沼線の仙台からの全通回復をぜひお願いします。
それで今回のハイライトは化石を発見するのに、補助的に尽力してくれた写真の阿部直哉さんは地元歌津の人でした。すると学名をラテン語でつけるのですが、発見者の永広昌之東北大名誉教授が、彼の名前の一部をとり「パシリカス・ナオヤイ」と命名してくれました。
どの学界でもそうですが、自分が発見した文物にラテン語の学名が与えられと言うのは、とても名誉なことで、ノーベル賞とはいかないまでも、その学術界ではほぼ将来の研究生活が、保証されるというような重要なおもむきがあります。
直哉さんは学者ではありませんが、未来永劫古生物学会と歌津の名誉人になりました。おめでとう御座います。ちなみに阿部直哉さんの祖母は「馬場上城内」の我が家の分家・上新家から出てました。これもまた名誉なことでした。
恒例の仙台「定禅寺通りジャズ フェスティバル」が華やかに始まりました。今回で33回目とかです。その間コロナなどでの雌伏のときもありましたが新たな思いで再出発です。33年というと始まりの年に生まれ人も33歳です。感慨深いものがありますね。
会場を回り感じたのはこれまでと違い、多少ビジネス化が進んだことです。例えば一番町では牛タンの店が屋台風に出店したり、キッチンカーがいてその横には大きなテーブルと、長椅子が用意され気楽にビールを飲みながら祭を楽しむ光景が受けました。振返えれば始まりは25団体で五時間くらいの演奏がここまで成長しました。
なに事も継続するには力が必要でその力の源泉がマネーです。そんな意味でも商業化して街の活性化に寄与するのは当然のことです。ぜひ、もっと発展してジャズの発祥の地、ニューオリンズの祭に近づければ本望です。
写真は遂に会場が青葉城の天主台まで広がって、演奏しているのがトンペイグループというのがGoodですね。
新聞では8日夕のフィナーレには、仙台ジャズのレジェンド・ピアノの中野正敏さん(87歳)が演奏していたとかです。中野さんは第一回目からの演奏者で、これまでの伝統を紡いでくださっています。今回の出演でも多くの感動をありがとう御座いました。
トランプ前大統領の暗殺未遂がありました。これで二度目です。こうなると先に大統領選から降りトランプ陣営に組みし、トランプ氏が当選の暁にはその父親のロバート・ケネディと、伯父ジョンFケネディ大統領暗殺文書の公開を先月約束して受けたばかりの、ロバート・ケネディ・ジュニアとの関連が気になるので調査中です。
「フランシス・フォード・コッポラ監督の新作」15 日「 真田広之さんがエミー賞を受賞」しました。ぜひ次は私の『田中角栄・野武士の時代』ー『ロッキード事件・ウォーターゲート事件』の物語を日米合作で、真田広之さんと共同プロデュースで製作を進めたいと思います。
2024年8月3日 ☆ 八月のアップデート
やたら暑いだけのこの夏も八月です。週明けから旧暦の七夕でさらに立秋です。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。「暑中お見舞い申し上げます」
写真は「講談社 CINEMA CREATORS'LAV.」に誘われ応募した原作の表紙です。尺が短編仕様なのでプロモーション用ビデオにとエントリーしました。
いよいよ前述したドコモやソニー映画の始動です。本来、私は文学をはじめ生命工学や経済学の研究もあるので、小説は原作作家でいるつもりでした。
しかし、日本の文壇も出版界もご覧の通りで、更にAI Chat等の出現で私たちが、オリジナルの作品を書けた最後の作家世代の華になることでしょう。
文芸評論なども同じで、自分はその時代のどちらにもまたがる事が出来てとても幸運でした。その上いつの間にか映画・ドラマの脚本も手掛けています。
◎私自身の作家人生は「時代を映す鏡であった」と思っています。
それらの映画界とのつながりをいつか書きたいと、構想を温めていましたが、いまコンテンツビジネスが隆盛となりこんな声がかかるようになりました。
時代の趨勢も嬉しく感じ有難い事ですが、これまでして来た他社への製作協力や広告だけでなく、自らの原作や脚本をもとにオリジナル映像の製作や広告が、これから進む作家人生と映像ディレクターの主な道と仕事です。
映画は新た地平を開き大勢が関わって作るのものですから、常に気になるがそのクオリティです。自分の役割は原作と脚本、プロデュースさらに広告ですが、これは今の作家業と違い一存では決められず、それらスタッフで協力し良い作品を皆様にお届けするのが第一です。今後ともご理解とご協力のほどをよろしくお願い致します。
先月に予告したごとく八日に日向灘でM7.1と九日には神奈川県でM5.3の地震です※いずれも海溝型地震でフィリピン海プレートの仕業です。ただし、神奈川県の場合はさらに太平洋プレートも潜りこんでいて複雑です。関東南部が乗っている北米プレートに、二つのプレートが言寄り三角関係状態で揺らすのが相模トラフ地震です。
※十日には午後0時29分に千島海溝モデル・オホーツク海南部でM6.8 函館で震度3程度の地震あり。
せめて交差する境目の重なりがフィリピン海プレートが上か太平洋プレート下かが判明すると判断しやすいが※厚木あたりの地下にちょうど女性の下腹部のY字の所に二つのプレートが集中して潜込み、以前にも関東大震災として甚大な被害を出しています。要注意です。これが首都直下型地震に影響を与えていると私は考えます。
※フィリピン海プレート・南海トラフの深さが四千メートルで、太平洋プレート・日本海溝が八千メートル。
相模トラフは二千メートルの深さの所にある。
理由として大地震があるたびに三浦半島の城ケ島や相模の沿岸、房総半島を交互に隆起させています。これはフィリピン海プレートや太平洋プレートにより、相模トラフが複雑に影響を受けているからです。すみやかな解明が求められます。これで首都直下型のメカニズムが解るはずです。地球物理学の皆様探査をよろしくです。
19日の午前0時48分に茨城県北部で震度四の揺れがあり2分後の50分に同じく震度五の地震が続けて有りました。
PS.です。初代民主党を立上げた人間の一人として、一言二言です。本来は政治向きのことは沈黙してますが、今回の岸田総理が辞任というのが残念なので一言です。歴史にIFを論じても意味がないそうですが、もし、今回の日向灘の地震がなければ、岸田総理はカザフスタンでのアジア会議に参加していたでしょう。残念です。
ここでもIFですが、もし、その会議に出席していれば、会議の後にモンゴルに寄り、そこで待っている北朝鮮の拉致担当者達と会い、横田めぐみさんを始め大勢の被害者の問題を話し合うはずでした。しかし、ここにもIFが有りせめての電話会談も不調なら、首相はじめ拉致に関する全ての関係者のツキの無さに歯痒思いを感じます。
本当は北朝鮮は先月来の水害で指導者の奮闘ぶりをアピールしてますが、評判はいまいちで、ここで拉致という自国の恥じを国内外にさらすのはためらいがあるようです。さらに自らの国内基盤の脆弱要素になるのではないかと、拉致事件の存在の公表を一時的に躊躇しました。ここでも朝鮮半島の痩せた土地と運の無さを感じます。
そして、さらにIFは付きまといますが、じつは北朝鮮は心底、南朝鮮・韓国や中国と訣別してもアメリカおよび日本と金銭絡みでも近づく事を決意しています。そこで岸田さんに代わる次期リーダーは、絶対にこの好機を活かして下さい。それはこの水害での世界からの復興援助を、かの地域は今のところポーズ的に拒んでいます。
さらに、続けてIFがあります。もしここで我国の申出として「拉致被害者の根本的な解決の実行をするならば、そちらのメンツに触れずに資金提供の用意がある」とオファーするのが有効です。そして、その解決の次期リーダーには、前官房長官で拉致担当大臣だった加藤勝信さんを総理に押します。彼の運に期待したい所です。
そのほうが裏金問題で辞めざる得ない岸田さんと、統一教会の問題も含め超信用失墜を巻き起こした自民党は、ここで一旦は「起死回生の機会を得たなぁ」と、一般ピーポーは理解することでしょう。ぜひ拉致被害者の奪還に全力を尽くしてください。もはや拉致被害者のためには党派を越えて提言します。よろしくお願いします。
次に「ロスケ・ビッチ・プー珍珍」と「中花人ピーポー国最高尊厳」とやらのアホダラ幹独裁二人組の話です。
この六日にウクライナは以前からロシアのクルスク州で非公式に活動していた、ウクライナ系ロシア自由軍が同州とベルゴロド州まで、越境攻撃を実施して支配下に治めたようです。 そして現地に司令部を置きはじめた。
一方、中花ナンチャラ国の代表は会議中に倒れ、意識が混濁中とかだそうです。どうやら連続して一服盛られたようです。理由は出来もしない台湾侵攻やアメリカを抜かして、世界統一を計るという言動のせいで、米国から締め出しをくらい、預けてある政権OBや政府高官の、財産没収の憂き目に合って、その不興を買った模様です。
もはや「何おば語るかや」です、さらに何が起きるか「乞うご期待」と言うところです。
2024年7月7日 ☆ 天に徳を積む・新たな復興のかたち
あの目も当たれない震災から十三年が過ぎました。そんな本年一月一日にさらに北陸能登半島の激甚な災害です。
その間コロナ19で全世界が身動き出来ない時期、さらにロシアとウクライナの戦争で、まさしく聖書の「ヨハネの黙示録」を地で行く展開でした。
後世の歴史家は現在をどのような評価をするのでしょうか。
それは二十一世記の前半を時代区分するに「絶好のエポック メーキングの出来事だった」と、評価されるのではないかと自身では思っています。
そんな折り微力ながらも、復興や疫病対策、ロシアの国連での常任理事国としての有りかた問題から、ウクライナへの戦後賠償資金策などを提言して来ました。その上さらに創作にと気を配って来た所です。時間の経過はいかんともし難いですが、その過程で成果と言えば皆様がこれまで、ご覧になられた通りの経過をたどりました。
更に今後の懸念では能登に続き福島県南部、茨城県沖、房総半島、首都直下、富士山、東海、東南海、南海、日向灘周辺と備えが必要です。範囲を広げれば千島海溝、北海道東部も含まれます。
そんな中で三陸地方はこれら被災地のさきがけとして復興モデルを先導する立場です。今回の写真のアップは今年東北大学が国際卓越研究大学No.1に選定されたのを奇貨として、以前から準備していた「三陸研究所クラスター構想」を「産業振興」を含め前に進める事にしたものです。場所は以前から私のお気に入りの風景の所です。
東北大学には経済学部を始め「仙台VIO技術研究所」での「君香化粧品」の成分研究で工学部の「NICHe」にも、筆舌に尽しがたいほどの多大なる恩恵を賜りました。「何時かは大学にお礼」をと思っていましたが、このような形で恩返しが出来るのはまさに地元三陸のためを含め研究者としても「可能性の追及」での光栄の至りです。
組織の役割としては「研究第一主義」はもちろん、産業推進機構が取持つ、三陸地方復興の「地域連携プラットフォーム」です。また企業と大学の橋渡コラボをする(研究機関誘致・新産業の誘致・ポスドクの採用促進)などの「大学等連携推進法人制度」のさらなる活用を求めるシンクタンクの機能を果たします。
「いずれの御時にか、女御、更衣、さうぶらひたまいける中に・・・」
そして今年第一回目、一月一日にお約束した紫式部の「光源氏」の事です。『源氏物語』は日本の平安朝文化の華と言れます。また文学的にも世界最古の長編小説※とされています。そんな源氏を読む動気は、まだ物書きの駆け出しの頃です。その当時は英文もこなしていて西欧文学※Ⅱか、日本文学で行くのか迷いがありました。
※先行に「竹取物語」や「伊勢物語」はあるが作者不詳である。一方比べて西欧での『デカメロン』「ボッカチ オ」や『カンタベリー物語』の「チョーサー」よりも古いといわれる。
※Ⅱ西欧物では後に『J・F・K ダブルスティツ』や『田中角栄・ウォターゲート事件』を書くことになる。
そんな中で源氏物語を読むとその高尚さ、華麗さに圧倒されました。とくに和歌を物語の進行に活用する手法には初め心底、真似の出来ないものを感じました。そして紫式部の教養の高さと、少し誇張されてますが雅な宮廷人の心象風景が盛込れていて、更に彼女の歌が勅撰和歌集に六十首、百人一首に十首も採歌されているのです。
すると俄然、研究心が湧き調べたくなり、まず日本の古典文学集にあたってみました。すると意外にも近くに『枕草紙』の「清・少納言」がいるではありませんか。さらに進むと『伊勢物語』※の「在原ノ業平」がいて、ようやく紫式部が書いた『源氏物語』の「創作の秘密」が解明出来たのでした。
※『伊勢物語』を清・少納言は『枕草紙』第八十二段で「あやうしいせの物がたりなりき」と書き一方紫式部は『源氏物語』「総角」ノ巻きで『在五が物語』・『伊勢物語』は、古典だとしている点に着目して、二人が反目しあうなら(笑う)私が書く物語の登場人物的には整合性があり「本物の話になるな」と思いを定めました。
劇中ドラマでは仲良しの設定ですが、二人の日記を読むと相当に辛辣な仲のようでした(笑う)
しかし、当時の今はなき日本の文壇では、この時代をはっきり書ける作家がいなくて※『 新平家物語』の「吉川英治」は亡くなり『平将門』の「海音寺潮五郎」さんには日本の正史※Ⅱを踏まえてない不満がありました。そこで自分なりに紫式部を尊敬しながら書いた小説が『風に吹かれて』・「『實方ノ中将」でした。
※戦前の皇国史観の影響と思われる(皇国史観そのものが日本の正史を歪めるバイアスだと戦後禁止となる)
同じく大河ドラマ『草燃える』の作家:永井路子さんも『異議あり日本史』を出していますが、むしろ私も永井さんの昨品に違和感を持ち、独自の歴史見解で『風に吹かれて』を出し処女作で『巨匠』☆の称号を得ました。
☆初めに私を『巨匠』と呼び始めたのは、ある国会議員の秘書さんでした。なかなかの慧眼の持ち主でした。
※Ⅱ実はそもそも古来日本の正史は整っておらず「日本書紀」や「続日本紀」および「六国史」でも不充分で、江戸の初期に水戸の御老公の黄門様が「エイッわしがやったる」とばかりに「大日本史」の編纂事業を手掛けましたが、その完成が延々と明治39年までなんと約260年もかかり、評価は未まだ定まらず続行中です。
そこで明治政府が水戸の尊皇攘夷論調で固められても困ると「皇国史観」を打ち立てますが、今度はこれが逆にいかに「皇国が立派で無謬」かの自慢史観となり、現在の北朝鮮の将軍様を称える「白頭山血脈」の捏造話のような「金一族が素晴らしい」と宣伝「史観」に堕落して、正史としての真実相当の、研究が疎かになりました。
そして永井さんも『北條政子』等を書いたあとに、自分で違和感を感じ申し訳に『異議あり日本史』を残したのでは、と思うしだいです。永井さんは東女大ですから「それなりに本格的な皇国史観の犠牲者だったのかなぁ」とも、今となっては思っています。
本日は七夕で、いとしのTさんと歌中のTさんの両Tさんとで誕生日です。私達の仲間入おめでとう御座います。
十日間ほど離ればなれでしたが、また再度同級生に戻れて嬉しいです。あと十日ほどするとEさんが加ります。
いつも励まし頂き嬉しいです。今後も皆さんが達者でいて共に笑いあうのが小生の何よりの楽しみと喜びです。
本日はフミから当時のヒット曲で、お三方のテーマソング「花の首飾り」を贈ります。お楽しみください。
2024年6月15日 ☆ 多賀城のシルクロード展を見てきました
今年も中間の六月です。多賀城歴史博物館で開かれていた「シルクロード展」を見てきました。
いま、宮城県ではこの「多賀城碑」が国宝に指定され、奈良の平城京、福岡の大宰府、宮城の多賀城と、もとより日本三大古蹟と呼称されていますが、一段とその格を上げました。
歴史博物館についてはその発足時から関わっていたので、今回のような国宝指定や展示会に訪れると、そのたびに古くからの深い感懐につつまれます。
おかげ様で展示会も間もなく終了ですが、この短期間の開催とは言え好評で、五万人の来館者に恵まれました。有難う御座います。
シルクロードとは以前学校で学んだように、古代西ヨーロッパのギリシャ・ローマから東の中国唐の首都長安・現在の西安まで続く交易ルートです。また日本の奈良平城京の「正倉院」まで続くと考える人もいます。それはかく言う私で、今後の発掘によっては多賀城まで続く文物が出るかも知れません。
そうなれば極西のヨーロッパから極東の果ての多賀城までの観光ルートが繋がり、間違いなく欧米のバックパッカーが未来永劫、永続的にギリシャ・ローマの観光地を巡るルートのひとつに加えることになります。そうなると「鎌倉殿の13人」で、我が歌津の「平成の森公園」までバックパッカーが押し寄せることになります。
そして足は三陸沿岸の「潮騒トレイル」に繋がる事になり、つられて震災後の第二の民宿ブームになります。更に経営者は地元の人に限らず、旅で訪れた欧米人が定着して、運営する現象も生じます。地元民の人口減ということで、Uターン者や優良な欧米との交流で資本投下も考えられます。早い者勝ちとなるかもしれません。
ただ、「おもてなし」三陸らしい海産物はもちろんのこと岩手沿岸の「蕎麦街道」とか八戸の拉麺街道も良いですね。その先の将来の旅のイメージとしては、南フランス「プロヴァンス」での名物料理「ブイアベース」が食べられるような旅行地になるのが目標です。早速イタリアからジェラートの店が来てオープンしました。
秋から冬にかけては新鮮な「海鮮なべ物」春から夏は同じく海鮮を使った「ブイアベースなべ物」と、腕に覚えのある方は奮って三陸でオープンして下さい。三陸こそが古来から極東日本の「黄金の国」・「ジパング」と言われれた「陸と海のシルクロード」の到達点です。よろしくお願いします。
ここであらためてシルクロード「絹ノ道」とは、中国から中東を通じ様々な物資が、東西南北に運ばれた事により19世紀に、ドイツの地理学者リフト・フォーエンが命名したものです。その中で中国の「絹織物」が紀元前後からギリシャ・ローマの特に貴族階級の衣服の素材に、絹が最高級品と重宝されたのが始まりでした。
とくに絹が持つ爽やかな肌触りが寝苦しい夏に、上級社会のパジャマ用の素材に最適だったようです。ルートは「すべての道はローマに通じる」で、たとえばペルシャ人がキャラバン(隊商)を組んでコーカサスのステップ(草原)を行く時は馬で越えて、次にタクラマカン等の砂漠に来ると、今度は駱駝に人も荷駄も乗り変えます。
主な道は河西回廊、天山北路か天山南路、西域南道、ゴビ砂漠のオワシスもありウルムチや楼欄、敦煌〜長安に至ます。この道行きは現代も健在で様々なルートがあり、バスで中国の西安まで到達できます。一回の極東までの往復の商いで、一生暮らせるそうで、少し時代は降り日本の鎌倉時代に東方に来たのがマルコ・ポーロです。
「東方見聞録」によりますと、マルコはイタリアのヴェネチア人だったようで、若き日々に大人たちに中東からアジアまで、交易のにルートがあることを聞き、冒険心が抑えられずキャラバンに加わったようです。この頃にもパスポートの慣習があり、モンゴルに至るとフビライ・ハーンの旅券を貰い感激したそうです。
そのパスポートは黄金製の細長いカード型で、この旅券を持つとどんな国にも出入り可能な、最強のパスポートだったそうです。まるで、現在の日本のパスポートと同じです。今の我が国のパスポートも、北朝鮮以外どこへでも入出国できる旅券で、世界最強No.1のパスポートと言われています。
そしてマルコは日本に来たことがあるように「黄金の国・ジパング」と言いましたが、これは彼が旅の途中に、おもに中国で聞いた日本の評判記だそうです。とくに「日本の宮殿がすべて黄金で作られている」という話は、どうやら奈良の東大寺が黄金で鍍金した大仏や、奥州平泉・中尊寺の「金色堂」の事のようです。
更に「黄金の島」とは石巻市牡鹿半島の「金華山」の事のようで、それをマルコが帰国後に口述した話しを元に書かれた「東方見聞録」に載せられて黄金好きなヨーロッパで多大な評判となりました。確かに古来奥州の宮城県涌谷から産金があり、金華山の隣の女川町の御前浜に「百済王敬福」の館跡があったと言う伝説もあります。
百済ノ敬福※は産金の技術者で集めた「金」を聖武天皇に送ると、大伴家持が「天皇の 御代栄むと 東なる 陸奥山に 黄金はなさく」と詠歌して奈良の大仏の開眼法要に遣われました。よって「三陸の黄金シルクロード」も「黄金の国ジパング」のロマンにこのようにして元より組込まれています。
※百済王敬福は西暦664年の白村江(ハクスキノエ)と読む、の戦いで滅亡した百済王族の末裔で、日本に渡来して帰化した人々の子孫であった。このとき砂金十三.五Kgを献上して敬福は一気に七階級も昇給し百済小錦(クダラノコニシキ)と読む、の位を授かった。さらに陸奥には租税の減免や産金功労者への叙位もあった。
◎欧米のバックパッカーもきっと興味を持って三陸を周遊してくれます。この他にも歌津の田束山の産金伝説、気仙沼市本吉町の大谷鉱山跡や、鹿折の世界最大級の金塊産出の鉱山跡があり黄金の話題には事欠きせん。そこで旅の方々に黄金の「おもてなし印」の三陸独自の周遊パスポートを作り、皆で熱烈大歓迎致しましょう。
と言うことで震災から十三年と三ヶ月で復興もここまで来ました。まだまだ初動ですが今年一月に起きた、能登半島地震から六ケ月です。何か政府の対応の遅れで住民の方々の疲労も限界とか。やはり事前のマスタープランの有無でここまで違うようです。コロナ19でも同じでした。全国的に次回の災害もその想定の準備が肝心です。
十三日からはイタリアでG7・サミットが開かれ、二年前に私が提案したウクライナの戦費や戦災復興費用を、ロシアの対外資産で賄うという方針が無事に決定致しました。これは争い事なので「おめでとう」とは申しませんが、「メデタシ メデタシ」と言いたい所です。
伝えたい事は台湾侵攻を考えていると言われる御仁の方々に、やれば同じ憂き目に会いますよと言うことです。
これは約四十年前に私が編み出した、第三次世界大戦を勃発させないための方策でした。この度そのモデルのひとつである「避戦経済と戦後賠償財政のあり方」の雛型が組み上がり、各国の代表為政者に感謝申し上げます。
「有り難うございました」
関連して申しますと、戦うに武器も戦費も無くなったロシアのプー賃賃が、19日に「地上の楽園」世界一の金持ち地域の北朝鮮に行き、兵器とお金の無心までして来ました。おまけに「互いに戦争を助けあいましょうね」と相思相愛で、さらに支払は人民元でよろしくねと、重ねて自分の亡命先をも頼みこみ、永遠の愛まで誓う姿を全世界にアピールしました。
まぁ、しかし「口を開けば朝から晩まで嘘しか言わない」と、言われた少池某都知事や某半島人と約束して、何か意味があるのでしょうか。プー賃賃はソ連のKGBに入った時から頭をやられ、廃人同様のアタオカなのと軍部からの嘘報でまともな判断が出来ませんよ。したがって今度はロシア連邦そのものまでも亡国にする気ですよ。
ロシアンピーポーの皆様、早く立上がらぬと戦後賠償問題で個々人の未来と人生までも失い、今度は逆に全世界から再度、復興資金と経済封鎖でスレイブ・スラブ(奴隷)状態に戻される事になりますよ。
と、いうことで「ウクライナに神の栄光あれ」さらに「 God bless you and Ukraine.」とお祈り致します。
2024年5月26日 ☆ 五月 信州信濃路をゆかば
コロナもあり、ここ数年訪れていなかった信州に行って来ました。心のふるさと信州松本といえば写真の旧制松高の校門と校舎です。
私が一番最初に訪ねた時は「思誠寮」も残っていて引き継がれた信州大学の学生さんが住んでいました。
夕方の食事時、本当に「召太鼓」がドンドンドンと鳴ったのには驚きました。まさしく『どくとるマンボウ青春記』の世界そのものでした。
北杜夫さんが遠藤周作さんのコーヒーのCM「違いがわかる男」シリーズに「阿川弘之さん」たちと
出演していたころです。
その中で授業の始り終業の合図の鐘を鳴らす校務員のおじさんがカラン、カランと鳴らすシーンがあるのですが、本当に実在していたので余計に感動しました。(ただし、CMを撮るときは本物の役者さんが鐘を鳴らす演技で撮影したとの北さんの証言あり)
木造の寮舎は校内の北側の講堂の並びの中程にありました。今その寮の跡地に「我らの青春ここにあり」と大きな石に碑文が刻まれています。かくいう当方の青春も遠くなりにけりですが、最近YouTiubeで旧制高校のことを取り上げてくれるので、若い学生さんの多くが「あがたの森公園」を訪れてくれているようです。
学校は平成の初めのころまで信州大学理学部のゼミ室に使われていました。最近に終戦当時の古いフィルムが見つかったようで、どうやら「やりまっショッ」の腹芸の数学の「ヒルさん」とおぼしき先生も写っています。これを見た旧制高校のファンが増えてSNSで話題にしてくれているのが嬉しいですね。
青春記の中で、サッカーばかりしてドッペリしている先輩とありましたが、私が行った時も夕飯もせず、ひたすらボールを蹴っている学生さんがいました。その時広かった校庭もいまは日本庭園になり、池には錦鯉が泳いでいます。この校庭を公園化する案が出たさい反対したのが、北さんとわたしでしたが半分が庭園にされました。
旧制高校と言えば寮歌で、私達も音楽の授業で歌いましたが、その中で思出深いのが「北帰行」です。これは旧制旅順高校の歌です。岡林さんを知ったのもこの教室で、それは私達の前に授業を受けていたクラスの誰かが、月刊平凡か明星の付録で「岡林信康特集」の冊子を置いて行ったのを、偶然私が見つけたのがきっかけでした。
表紙に「OKABAYASI NOBUYASU」ーフォークソングの神様ーとあり、目が釘付けになりました。すると階段教室で下の席に松と並び座る賢ちゃんが後ろを振向き本を見て「ノカバヤシって誰れ」と訊いてきました、その時私は「ノカバヤシではなくオカバヤシみたいだ」と応え、気になるので自宅に持ち帰りじっくりと読みました。
これが岡林さんとの感動的な出逢いでした。音楽の授業の時はいつも大助君と同じ机に座り歌っていました。
こうして青春を振り返ればどうしても信州の思い出につながりますが、そんな中信濃路と言えば「信州そば」ですね。今回も素朴ながら新鮮な信州そばの味わいを楽しんで来ました。
前回、拉致被害者のことで触れましたが、なぜ与正氏に代わり娘のオコチャマが登場したかについてです。
世上では後継者争いで妹が出過ぎたとの見方もあるようですが、確かに宣伝相として、さらに若旦那の最側近として目立ち過ぎました。
そのため若旦那に直接言えない勢力は与正氏を通じて、金剛山とかの偽開発話を持ち込み、まんまと詐欺に嵌め込み成功しました。
それを知った兄はその危うさを思い少し妹を遠ざけました。しかし理由はそれだけではなく、彼ら自身のしょうもない体制の、出来もしないイメージチェンジの策略と身の保全という問題があるのです。
経緯はロシアがまだソ連時代の終わりの1990年に急遽、南鮮・韓国と国交を正常化した事にあり、その直前に訪朝し韓国との国交を結ぶと通告したシュワルナゼ外相に対し、当時の北の金永南外相が激怒したことに始まっています。
このときソ連に裏切られたと思った北朝鮮は「独自に核開発をする」と息巻ました。ただ、核武装の構想は祖父の金日成時代からあり既定路線だった事実もあります。
さらに1991年のソ連の崩壊によって、北朝鮮に対する軍事・経済支援は大幅に縮小しました。プーチン氏はこの時二十四年前にも訪朝し、東西の核軍縮の流れにのり、北朝鮮で働くロシア出身の核の科学者の引き上げを提案している事実もあります。
そして今、彼らは自らの体制維持のため、ミサイル製造と核実験をしていると主張していますが、逆にその事が裏目に出て、2022年10月1日の21回目に40発を打ち上げてから、ついにアメリカの国防省により金正恩氏に対する、「斬首作戦」が発動されてしまい、取り返しのつかない事態になってしまいました。
これはかつてのリビアのカダフィー大佐やイラクのサダム・フセイン大統領、9・11での国際テロ組織・アルカイダの首領、ウサマ・ビン・ラディンの末路と同じ運命をたどると言う意味だったのです。
米国は歴史的にも西部劇時代から公共の敵や、自国にミサイルを打つようなナラズ者は「WANTED」と指名手配して、公衆への罪として有無を云せず社会的に一気に抹殺するのです。そこで殺されたくない若旦那はイメチェンのためも含め、自分は平和を愛する欧米人と変わらぬ、家族愛を持っているというアッピール作戦に出ました。
それで最愛の娘をロケット発射などの重要な場面に立ち会わせたりし始めました。これは「まさか、自分を娘ごと粉砕することはないだろう」との魂胆だったのです。だから軍事演習のパレードにも娘を付き合わせているのです。ただ、娘は今ある少女特有の時期に差し掛かり始め、最近は父を忌避するようになりました。
と、いうわけで娘を巻き込んだ民主的な体制のイメチェンアッピールはいつまで続くのでしょうか。
さらにオコチャマの長男「領主」さまがいるという話しはいつか書きましょう。結構家庭も複雑なようです。
先月に、「とぼけてこんな事を語らせています」とたとえましたが、それに対して五月二十二日にこんな文章が某朝月新聞に載っていました。そのまま転載します。
ー北朝鮮トップとの直接交渉のリスクを負い、拉致被害者五人と家族五人を奪還した2002年と04年の小泉純一郎首相(当時)の訪朝を高く評価する。その後の日本の対応は理想にこだわりすぎて、何も進まない二十年間となった。制裁などの「圧力」で解決できなかった現実は重い。
岸田文雄首相が日朝首脳会談に意欲を示す中、北朝鮮は今年に入って好意的な反応を相次いで示した。トランプ前大統領の返り咲きと米朝交渉の再開の可能性をにらみ、日本が横やりを入れないように相互不信をある程度払拭しておきたかったのだろう。ただ、日朝間のやり取りは具体的な交渉段階ではなく、「接触」に過ぎなかったのではないか。首相が何を考えているのかと北朝鮮は真意をはかりかね、談話を出したと言える。そして日本側の対応に変化が見られず、北朝鮮は「いかなる接触も交渉も拒否」との表明に至った。
拉致問題では「一歩も譲歩すべきではない」という主張も理解できる。被害者の立場としては当然だ。しかし、北朝鮮にとって日朝関係を動かすメリットがない以上、首脳会談の実現は困難である。例えば朝鮮学校の高校無償化適用などが考えられるが、世論の理解を得るのは厳しい。
金正恩総書記は昨年末、韓国との「敵対関係」を宣言し、南北統一を拒否した。祖父・日成氏、父・正日氏の誕生日も以前ほど盛大に祝われなくなり、先代指導者から距離を置きはじめた。「拉致は正恩氏が生まれる前の犯罪であり、決別すべきだ」と訴えるタイミングではあるが、△事態打開のためには、日本も政策転換を図らなくてはならないー ここで転写終わり。
これに対し【北京共同】では一方、同じ五月二十二日に金正恩氏の肖像画が、先々代の故金日成主席と先代の故金正日総書記の写真と並んで、新設された朝鮮労働党幹部養成機関「中央幹部学校」の施設の室内や外壁に飾られたと伝えている。
イメージチェンジするはずの、先代の偉業とやらを否定するとの方針とやらはいずこに消えしか・・・・・・
さらに若旦那らは今年一月に最高人民会議で、憲法を改正して韓国を「第一の敵国、不変の主敵」と明記すべきだと表明している。祖父の金日成首席時代から掲げられてきた平和統一を放棄し、韓国との関係を断絶する姿勢を鮮明にしてきたはずだ。
△「事態打開のためには、日本も政策転換を図らなくてはならない」とは、朝ドラの寅子ではないが「はて?」
これでは残念ながらほぼ意味不明。これで何を理解しろという言うのであろうか。誰か詳しく解釈を、もしくは自己都合だけを並べるのではなく、ストーリーのやり直しをお願いします。
もし、日本の総理に頼み「斬首作戦」の中止の取り成しを、トランプ元大統領やバイデン大統領に持ち込んでも、ほぼ無理と思われる。米国務省の方針はそう安易には変えられるものではない。
で、あるならば逆に正恩氏がイメージチェンジを図るのなら、先々代や先代達の悪行を悔い改め、人道主義にも理解ある指導者像を前面に出して拉致被害者の全員帰還でも成せば、何処ぞの国に亡命くらいは有るやも知れず、家族と自分の命だけは助かるかも知れない。(父正日氏が残した亡命用別荘がロシアと米国中西部に有り)
ようするに拉致被害者を即刻還してもらうのが先決、亡命や食糧援助にはそれ以外の条件は無しと言う事です。
ウクライナのゼレンスキー大統領が、六月中旬にスイスで開かれるハイレベル会合で、自身が提唱する和平案の「平和の公式」十項目のうち、原発の安全確保など三項目を重点的に推進し、各国に支持を呼びかける考えを示した。平和の公式はロシア軍の即時全面撤退や、ウクライナ領土の一体性の回復なども盛り込んだ停戦条件だ。
ちなみに米国はもしプーチンが戦術核を使用したなら、アメリカがウクライナ戦線に参戦すると宣言しました。
スイス政府は平和の公式を協議するハイレベル会合に世界百六十ケ国以上を招待している。ゼレンスキー氏は項目一としてロシアが占拠する南部ザポリジエ原発の安全確保、二としてウクライナから発展途上国への穀物輸出の保証、三として全ての捕虜とロシアに連れ去られた子供の帰還などに重点を置くと方針を示した。
さらに会合でウクライナのNATO加盟を認めるよう改めて求めていくことも明らかにしている。
相馬の野馬追が25日から27日まで開催される。長年開催日を移したらと提案してきましたが実現しました。人も馬も健康が第一です。勇気ある決断、さすが尊敬する相馬衆です。本日26日は私と京子さんの誕生日です。明日は伊藤さんと誠君の誕生日です。おめでとうございます。
追伸:2022年2月5日の当コラムのタイトル☆「コロナ戦線に異状あり」の末尾に以下にように記しました。
『 追伸:昨年11月にディズニー+で配信されたビートルズの『The Beatles Get Back』が世界中で好評価なので、ピーター・ジャクソン監督が続編を作るかも ? だそうです。実現したら観てみたいですね』
◎ これに付随して言うと、いくら、テーマが古くても、人々は「見たいものは観たいのだなぁ」という点です。日本もこの辺に映像製作のヒントがあるように思います。
ただ我が国の場合はNETFLIXもアマゾン・ビデオもDisney+もなく、それに代わる製作資金の出し手もなく、唯一YouTuberの広告収入が伸びているだけです。
さらに頼みのエンターテイメント ワークスは、単なる天下り先で終わりましたが、今なら金利も安いので市中の豊富な資金を取り入れ新たなファンドを作り、メジャー大手のソニーピクチャーズを中心に東宝、松竹、東映などでデジタル配信を手掛ける、国外向けクールジャパンのプラットフォームを構築してはいかがでしょうか。
そして新たなクリエイターを資金的に支え、創作意欲をかきたて国内外に、発信することが望まれます。転載はここでおわり
と、わたしがNETFLIXやアマゾン・プライム・ビデオに対抗する、日本独自のサブスクリプションの映像配信を「ソニーピクチャーズを中心に展開してはどうか」との提案でした。
これに対してこの五月二十八日の新聞発表で以下ように載っていました。(そのまま転載)
見出し:「ソニー 制作人材強化」ー製造業からエンタメ 転換鮮明ー
ソニーグループは23日に開いた経営方針説明会で、主力として伸ばしてきたゲーム、音楽、映画のエンターテインメント3事業において「クリエイター」と呼ばれる制作・開発者への支援に注力する方針を示した。アニメーターの育成機関の創設も検討する。
「20世紀のソニーはウォークマンやカラーテレビなどの『感動』を届けることに貢献してきた。21世紀のソニーは『感動』をつくるところに貢献したい」吉田憲一郎会長はこう語り、製造業からエンタメ事業への転換を改めて鮮明にした。
これまでも作品の権利獲得や配信プラットホームの買収など、IP(知的財産)の取得を進めてきた。今後はそのIPを多面的に展開することに加え、コンテンツ制作にも力をいれて成長につなげる戦略だ。そのカギとしたのが、ゲームやアニメ、映画、楽曲などつくるクリエーターへの支援だ。
ソニーが強みを持つ先端テクノロジーを制作現場で活用する。AI(人工知能)を使った多言語の字幕作成など、制作コストを下げる技術開発を進める。また、業界全体の人材育成にも取り組む。傘下の大手アニメ制作会社「アニプレックス」を中核としたアカデミーを設立し、海外のアニメター育成も目指す。
ソニーグループでは、すでにエンタメ3事業の売上高が全体の6割を占める。同社は2024年度からの3年間に成長投資として、前期間より5千億円多い、1.8兆円を投じる計画だが、この多くをエンタメ3事業に充てるという。 転記ここでおわり
だ、そうです。二年前に私が提案したプランが実現されることになりました。これは昨年の『NTT・ドコモ』「Lemino」の発足にならび、日本および世界のエンターテインメント・コンテンツビジネス業界、クリエーターさん達のためにも、新たな夢のある展開です。改めて感謝申し上げます。
ぜひ、多くのクリエイターさんたちと、ともに発展させて行きましょう。有難う御座いました。
ちなみにソニー エンターテイメント ピクチャーズは、ビデオデッキがベーター方式でVHS方式に長尺で負けた時「それならいっその事アメリカの映画コンテンツ産業そのもを支配すれば良い」と約四十年程前にかくいう私が提案をすると、しっかりとハリウッドのコロンビアピクチャーズを買ってここまで成長させた賢い会社です。
そのソニーがこの度も事業を拡大する前に、手回し良く先月にパラマウントピクチャーズを傘下に納めました。このパラマウント映画はかの『The Got father Part1〜Ⅲ』の、永遠のドル箱とも言える版権を持つハリウッドの映画スタジオです。
この版権を持ってるだけでもお値打ちの買い物のでした。これはサブスクの業界で世界中から、映画の古典として今後も視聴される事を今回も私が保証します。これだけでもほぼ21世紀中収益を上げ続けられる作品です。
よって、私がいま制作を予定している『j・F・K ダブルスティツーケネディ大統領暗殺のファイナルアンサー』をソニー ピクチャーズで「The God father Part 四」として、パラマウント撮影所にて『The God father』の
コッポラ監督のもとで撮りたいところです。どうかよろしくお願い致します。
そして日本のコンテンツは、その資本を投下した日本のプラットフォームから発信して、この国の収益や発展の一助にしましょう。それがクールジャパンの存在意義です。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。
最後までの読了に感謝申し上げます。以上です。
2024年4月10日 ☆ 春四月 Cherry blossom.
仙台市西公園の桜が満開です。この近くで青春時代を過ごされた方に特別に贈ります。懐かしかったら、来て花見を楽しみませんか。
そして本日は小生が初めて来仙した日でもあります。あれから幾星霜いくたびの春を迎えたことでしょう。毎年、桜が咲くたびに甦る感慨です。
その三年前は高校に入学して、今頃は音楽教室で「なぜここで」と思いながら北朝鮮のうた「イムジンガン」をピアノに合わせて歌っていました。
先生はトンペイの教育学部を出られた、ユニークな先生でした。また、岡林信康さんを知ったのもこの音楽室でした。
されど今このイムジンガンをしみじみ歌っているのは、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんや、よど号ハイジャック事件で、北に渡った面々ではないかと思い心が痛みます。それで彼の地域の事はその為政者のあまりにも稚拙な政策と、それを克服出来ず食糧難で餓えに苦しむ人民のことを思うと何も言ないので沈黙していました。
先日も日本の岸田総理と拉致問題で交渉があるとの事で、ほとんど期待しませんが成り行きを見守ってました。しかし、あの体たらくで予想を上回るものは何もありませんでした。むしろ、自分たちから「もう絶交だ」などと、Youは小学生か?という言動で、ことほと左様に振り回される気の毒な人民の境遇が思いやられます。
そもそも鳴り物入りで登場した北の若旦那はスイス留学も有りとかで、自由の空気も知っているので、多少、期待めいたものがありました。しかし思うほど貧困も解消せず、アメリカの「トラちゃん」に会ってくれるようせがみ、ようやく南鮮の文在寅を半ば仲介にベトナムで会いましたが、小馬鹿にされておめおめと帰りました。
ところが列車で北朝鮮を出るとき盛大なセレモニーまでして、ピーポーにはアメリカと日本から莫大な金をせしめるから今後は安心だ、餓える心配なんかないと豪語してハノイに三日間かけて行ったのですが、トラちゃんにアメリカの漫画のようなプロパガンダのビデオ見せられ、かつ「核廃棄をしなければ援助なし」とされました。
すると怒ること怒ること気が狂ったように怒ったそうです。さいご三日目に再度アメリカとの交渉を朝鮮半島でいう「ズボンの裾」を掴んで「トラちゃん行かないで」と懇願しましたが、The end.となったようです。そしてなんの成果もなく、オメオメと帰りの列車の中では、大やけ酒を飲んで大暴れしてご帰還だったそうです。
それで妹の与正氏を含む側近の多くが左遷されたようです。この頃からウツになったようで、次に白頭山を巡る南北共同観光地開発を南の文在寅を通じ持ち掛けられ、なけなしの日本円で3000億円をかけて、温泉とカジノ用のホテルを建設し、オープンセレモニー用に自分達が白馬に跨るプロモーション用ビデオまで作りました。
この時の白馬は2019年4月にロシアから100頭を日本円で約1億円で買ったとかです。そのうちの何頭かは若旦那の将来のおこチャマ等、(金領主)様用だそうです。
しかし、いざそのオープンセレモニーを行う日、若旦那も立ち会いでテープカットしましたが、肝心の文在寅が送るはずの韓国と中国からの観光客とやらが一人も現れずに、もしやこれは詐欺ではないか?となったとの事です。
さらに初めに開発話しを持ち込んだ韓国の人間も突然に消え失せ、その人物は南の工作員でCIA絡みだそうです。まんまとトラちゃんに騙されようです。ベトナムのハノイ会談の下交渉中に文在寅がらみで「金剛山に
トランプタワーのようなリゾートカジノもいいね」などと美味しい甘事話しに乗せられたようです。
文在寅は2018年4月27の板門店での若旦那との会談で、1965年に日本から受けた賠償金は韓国が代表して受けたが、漢江で遣ってしまってもうないので「もう一度日本から北の分として一兆円貰いましょう」と持ち掛けました。若旦那も元々南からであれ日本からであれ貰う権利があると思い、あの場では乗ることにしたようです。
そして、結果として全て南鮮には嵌れてしまい正恩は躁鬱になりましたが、文在寅から更にお詫びにと開城の南北事業開始の特使派遣の話を出すと、怒心頭でやらかした事件が2020年6月の南北合同事業用のビル爆破です。この時は全責任者の与正氏が「ふ・ざ・け・る・な」と御立腹で爆薬を仕掛け爆破ボタンを押したようです。
「こんなビルなど見たくもない、チッ、ゆ・で・た牛の頭野郎」と罵って爆破したそうです。事情を知らない政権幹部や人民からは「何もそこまでしなくとも」と言う声もあったそうです。さらに2022年1月には与正氏は側近から降格になり、あまり正恩氏について廻らなくなり、最近は娘に代わったようです。これは後程です。
今となっては親北朝鮮の文在寅元大統領が親の仇以上に北の傀儡に出世したのです。そこで与正氏が「おかげでアタシは兄の信頼を失い左遷されたのヨ」と怒りドッカンしたようです。そんな現状で更にまた「もしトラ」でトランプ大統領の再登場を熱望してるそうですが、米国務省の方針は変わりませんから期待するだけ無駄です。
ただ、拉致被害者の扱いは兄の代行で、妹与正氏でも話が通じるそうなので、無碍には出来ないようです、元々正恩氏や与正氏に日本語を教えたのは「横田めぐみさん」だそうですから、交渉のいちルートにはなります。
粘り強く帰還を求めて行きましよう。
これらの話しはマスコミでは伝えない情報です。それは北からの指令で本筋は言えないので、これまでの拉致などを無かった事にして、とぼけてこんな事を語らせています。出来る訳もない「拉致被害者の帰還を諦めろ」などの、一方的なバイアスを掛けようとするプロパガンダ・メッセージを流しています。
これらのビデオはどこからその情報が来て、誰の代弁をしているのでしょうか? 拉致被害者やその家族の方々のことはどう思っているのでしょうか? さらに本当に同じ日本人なのでしょうか・・・何か怪しい・・・とにかく拉致被害者の方々を一日も早く還してもらいましょう。
こんなの無視して一日も早い被害者の帰国を何度でも要求する事を続けましょう。次回はなぜこの間の岸田総理との会談後に一方的「絶交宣言」をしたかについて書きます。日本の国民各位は何の事かを理解できずにただ、ただ「ポッカン」となりました。マスコミも当然解説なしです。今月はここまでにします。
2024年3月10日 ☆ 時代の趨勢と言うこと
いよいよ春3月です。毎年2月のバレンタインデェーあたりから、ひな祭りへと一番冬を長く感じる時期です。
この間に期末試験、各入学試験など、心落ち着かない季節もかさなり、まさに人生の軽い試練の時なのでしょうか ?
ろくに勉強をしたこともない、わたしが言うのも何か僭越至極ではございますがお許しください。
そんなこんなで、写真は教科書でお馴染みの、紀伊國屋書店のロゴマークです。
その昔、いくら不勉強なわたしでも、必須科目で重要な課題図書や参考書が、紀伊國屋書店でしか売っていないとかの事情で、やむなく当書店に注文したり、新宿の本店まで買いに行ったこともありました。その頃、北杜夫さんから教わった地下のカレー屋さんで、カレーライスを食べるのが楽しみでした。
そんな紀伊國屋書店さんが、私の平成の古典と言われる書籍『風に吹かれて』ー平安朝の恋と和歌の物語ーや『J・F・Kーダブル スティツ』映画脚本だとー『ケネディ大統領暗殺の真相ファイナルアンサー』ーなどの作品を専属で扱って下さるようです。今はまだ二冊の原作のアップだけですがそのほかも準備中のようです。
さらには今後も発行予定の新刊『昭和天皇の黙示録ー現人神の告白ー』と次回作の『ヨハネの黙示録ー蒼き馬を見よー』や『森羅万象の黙示録』と続くビッグタイトル三部作の「黙示録シリーズ」もぜひお願いしたいところです。
全国の書店の数が最大だったのは2004年ころで、郵便局と同じくらの2万店舗以上ありました。現在は約その半分の1万店舗となってしまいました。その分出版文化は衰え、代わりにネット文化が台頭して来ました。時代の趨勢と言うものを感じます。
そして郵便局もやがて無人のコンビニとかに様変りするのでしょうか。そうなったら残念ですね。それでも利用者のみなさまに愛されるようエールを贈ります。
出版でいま元気なのは俗にいう How to本で、人生の指南書というところです。小説などはメディアミックスで、盛り上げていかなければ先細りです。ただ、その分ネットメディアと相性がいいのが幸運です。ちょうど、2004年ころにコンテンツビジネスに、軸足を移したのはどうやら正解だったようです。
スウェーデンは今月7日にブリュッセルのNATO事務局で署名式を行い、続いて11日に正式加盟しNATO本部でスウェーデンの国旗を掲げ加盟を祝う式典を行ます。「プーテンの裏さん」のアホな戦争行為は、ロシア軍の多大な犠牲のもと徒労中の徒労に終わったようですね。だから「途中で止めとけ」と言ったのに・・・です。
これで彼の憧れのピョートル大帝が獲得した、北欧バルチック海を永遠に失ないましたね。残念でしたね。この間、日本でも「支援疲れ」などと、逆プロパガンダに加担したマスコミもありましたが、あれで誰が親ロシア派で、かつ彼らが勝ことを期待し、プーテンから金をもらっていたのか・・・?スパイ発見器にもなりましたね。
さらにトルコのエルドアン大統領が再度ロシアとウクライナの、今度は首脳同士の停戦会談をセッティング中とか、プーテンの裏さん、大統領選挙用に妥協のポーズも有るのでしょうが遅過です。いよいよ決断すべきです。どうしたら良いか分からず、ウダウダ言って従わぬのでしょうが、もうお仕舞いです。The end.なのです。
10日は歌中の卒業式の日でした。さらに東京大空襲の日でもあります。11日は震災から13年です。12日は亡き父の誕生日で、東京の浅草で父と共に10日の大空襲を逃げ回った母は19日に95歳になります。三陸は2021年の12月18日に八戸までの高速道路が全線開通出来て地方の活性化も徐々に感じられます。
「日はまた昇る ネバー・ギブアップ」でここまでこれました。「神のご加護に感謝」です。能登地方のみなさまにも復興の「神のご加護を」ウクライナのみなさまにも平和が訪れるよう「God bless you.」と祈ります。
2024年2月Ⅰ日 ☆ 春待望の二月です
ようやくの2月になりました。最大震度7を観測した能登半島地震から1ヶ月です。
石川県ではこれまでのところ238人の犠牲者や、4万6千棟以上の住宅が損壊し、被害の拡大が確認されました。
さらに被害が甚大だった奥能登では災害状況の把握が進んでいないもようです。
東日本大震災の被災者として、心からお悔やみ申し上げます。春はあと少しです。日に日に状況が良くなって行かれるよう重ねてお祈りいたします。
コロナ19の関連で中国の保健当局は4日、新型コロナウィルスの新変異株「JN・1」が中国で主流になっているとの分析結果を発表した。今月10日が中国の「春節」(旧正月)で、人流の増加が予想され、中国政府は改めて対策強化を呼び掛け始めたようです。
写真は先月26日にあった歌中生たちの活躍の祥報です。3・11から遡ること数十年前、わたしと伊藤孝治博士は歌中を卒業をするこになり、3月10日屋体での卒業式のあと、教室に戻りかたい握手をして別れました。
そのとき心の中で当時の曲『若者たち』の歌詞の一節を口ずさんで、彼や同級生へのエールとしました。
そしていま「空にまた希望の日が昇るとき、ネバー・ギブアップ」で後輩の若者たちが震災からの「復活の朝」に立って歩き始めました。
この事はいま書いている映画脚本「海辺の街」のラストシーンの一部に盛り込むことにしました。
これによりようやく新たな若い世代に、復興のバトンを渡せた思いです。あとは貴方がたの新鮮な感性で、これからの時代を築き上げてください。
そして震災後の三陸の復興と発展の「可能性を追求」して行きましょう。
そのためのお手伝いとエールは今後も贈り続けたいと思っています。
それらを含めて、JR気仙沼線の復旧の事です。これまでようやく高速道路や被災地の嵩上などの、生活や産業方面のインフラ構築は道半ばまで来ました。しかし、気仙沼線の復旧については今だに「BRT」などと寝ぼけた事をしています。昨年10月の同級会での帰省の際に被災後初めてその「BRT」と言うものに乗ってみました。
結論から言って物凄い腹が立ちました。「よくもこんな物を発案した為政者よ、Youは本当に乗ったことがあるか~、一度乗ってみてその素晴らしかった感想とやらを披瀝してみてくれ」との思いでした。そしていま国とあわせてJRが本格的に、地方の赤字ローカル線の存続の話し合いをするそうです。
これから新たに三陸地方に「殖産興業」をプロデュースをしょうとするのに、このままで良いのでしょうか?
やはり従来通りのフル規格の鉄道に復旧・復興して下さい。確かにあの大きな地震と津波に腰を抜かしました。そして復興の大変さは理解しています。災害に飲み込まれたのは確かです。
しかし、そして男なら一度大敗したくらいで「敗軍の将、兵を語らず」です。どこかの町長や知事のように、「鉄道の復旧に係わっていては復興が遅れる」などのウダウダした理屈は、もう復興もここまで来ると最早通用しません。さらにあんな状態で復興は成ったのですか?
それよりも八戸までの三陸全体のJR化で途中(第三セクター三陸線)などの一部を含めて乗客数や沿線住民の増加を目指しオールJR化に心血を注ぐのが政治としての要諦ではないですか?それともこのままで良いのですか?
どうかこれからの会合で三陸地方の鉄路が「全廃」とかの憂き目に合わぬよう、皆さんで再検討をお願います。
それでなくては今後の「能登地方」などの復旧や復興に「天の恵みがある」とエールを贈ることが出来ません。
と、言う事でどうか「天の恵み」を阻まぬようよろしくです。鉄路を復旧しなければ怠慢ということで、天の怒りを買い二度と復興はないでしょう。
為政者の方々、皆様には今の自分さけ良ければよいという、これからを生きようと生まれきた三陸の住民の人びとの、未来さえもを奪う施政は出来ぬはずです。と、言うことでどうかよろしくお願いします。
昨日、18日は松竹映画監督の阿部勉さんの、恒例の新年会が仙台のブラザー軒でありまして、参加してきました。
今回は皆さんも戦々恐々としていた津田さんの「団長の思い」の被害もわりと軽微で、前回のような寒い思いをして大風邪をひくこともありませんでした。
この前は私と太宰さん、そして埼玉から毎回ワインを差し入れくれる、監督のトンペイ時代の映画サークルの仲間、大和田ご夫妻の4人が、大変なコロナで寝込みました。
写真はその中で「日本映画の未来の語る」を講演中の阿部監督です。
今回も熱が入りましたが、その中で関心を呼んだのが、日本映画の草創期の話でしたね。とくに松竹が日活とともに歩んだ歴史が面白かったですね。意外にも日活の方が松竹より早い創業だったそうです。また、作品作りにも両社の監督などの交流も有ったとの興味深い内容でした。
あとは当会の司会者で「さとう宗幸」と言われる瀬成田先生も、コロナの病み上がりにも関わらず、相変わらずの美声でバラライカ楽団をバックにソフトな歌声を聞かせてくれました。
さらに私的ハイライトは前回に続き、作家の「瀬名秀明」さんが参加してくれて、近況を披露してくれました。
なんでも今年から、ベルギー人でフランス語で小説を書いていた超有名作家の「ジョルジ・シムノン」の著書の翻訳を手掛けるという話しでした。流石に文学上の我が先輩です。
これも瀬名さんの功績として、日本文学史に残る事だろうと思いました。そんな瀬名さんに会えたのを幸いに自分の些細な頼みごとをすると、心良く引き受けてくださいました。有難うございました。よろしくお願いいたします。
更にさらに当会の若手でトンペイを出たあとハウス食品に行ってた、片山雄貴君が久々に参加してくれたので、日本の映画を支える会の更新をお願いしてきました。若手がいると言うことは本当に嬉しいものです。
2024年1月Ⅰ日 ☆ 新年にあたって
皆様に新春のお慶びを申し上げます
新年1月からはじまる大河ドラマは「紫式部」の小説『光源氏』だそうです。私の小説:『風に吹かれて』を書く動機になった作品です。
それではこの物語の構成やその時代背景について、紫式部、清少納言等と、その登場人物などのエピソードを交えながら語っていきましょう。
その前に能登と羽田でとんでもないことが起きてしまいました。以下わたしの見解です。
まず、能登地震は3・11の東日本大震災で揺れ残った太平洋プレートが福島県南部沖から茨城県、千葉県・房総半島沖に有り、次の関東大震災の引き金になるように着々と時々揺れてます。
それが最近静穏期に入りました。すると3〜5年後に本震くる恐れがあります。
そして今、日本列島はその影響で太平洋側=日本海溝に向かって、斜めにのめり込んでいる状態にいます。すると勢い、日本海側、特に今、能登地方などの比較的弱い地盤に対して、東側に引く力が掛かっています。
すると能登半島沖約10Kmに、南北の不連続ながら約150Kmの活断層があるので、これが半島を東側に引く力により、地層が割れ裂け続け、大きな群発地震を引き起こします。それがこの度の大きな地震のメカニズムです。
そのため大地震の後に能登半島の西側の海岸が4mも隆起しました。ちなみに震源が地下50Kmとかは津波の恐れはなく、海底下20Km近辺より上だと要警戒です。
更に能登半島地下には太平洋プレートが、日本列島の下に潜り込む際海水も共に流れ込み、半島の地中に溜まっています。それが今、地殻上部まで上がって来ています。すると能登地方の断層が動いた拍子に、ちょうどウォーターベッドが波打つと、その上に置かれた物ように、能登半島地域やその他の建造物・家屋を揺らします。
それが今回のように方向が定まらない怪体な揺れになり被害が甚大になる理由です。熊本も地下に大量の水分を含んでいるようで同じような揺れ方だったようです。三陸地方の地震とその揺れ方が大分違うのが特徴です。
太平洋側=海溝型地震は基本的に始めに震源地から秒速約8Kmの速度で縦揺れが来て、東西にシーソーゲームを急激に繰り返したように揺れます。引き続き同じく震源地から秒速3Kmの速度で横揺れが来ると、地震波があちこちにぶつかり輻輳して複雑に揺れます。場合により震源地が遠いと縦揺れがなく横揺れだけの時も有ります。
また陸上下部の断層割れのときは直下型ほど急激な揺れになりますが、海底下の地殻割れだと上部の海水の圧力で地震波が減衰され、ゆったりした揺れになり、まさにユラリゆらりという感じです。これを先住アイヌの方達は地震の事を「ユタ」とか「ヨタ」と呼びましたが、これで地震の動きが陸域由来か海域由来かが分かります。
羽田の事故は南北に長いC滑走路に降りてきた日本航空の516便エアバスA350が、同じくC滑走路の途中から離陸を始めた海保の救援機に後方から、日航A350の機首と右エンジンをぶつけて、エアバスに残っていた燃料に引火して大火災を起こしたようです。コントロールタワーの誘導ミスか、海保機の誤認識離陸が考えられます。
C滑走路の2/3にから北に向かって離陸を始めた海保機が浮揚し飛び上がるには時速約150Kmの速度が必要です。同じくC滑走路の最南端から北に向かって着陸しょうと進入してくる日航516便も、速度約250Kmで降下しつつ着地して、比較すると小さな海保機に追い付き後ろから、馬乗りになる形で覆い被さるように追突したようです。
この場合は着陸しようとする日航516便の着陸行動が優先となります。海保機は日航機が着陸を済ませ、管制塔から滑走路上に出て離陸準備をして良いと言れるまで誘導路・C5で待機しなければなりません。今回の海保機は発進許可があったとしてC滑走路の2/3付近から滑走を始め、後から日航機に追突され事故になったようです。
人間の判断力には限界があります。こんな錯綜した場面では、人的判断の管制より、チャットAIで管制した方が正確かも知れません。いずれそんな時代になるとしても、痛ましい災害となってしまいました。より一人でも多くの方の無事をお祈りします。
まして海保機は能登に物資の搬送中だそうで、なんともやりきれなく悔やまれる事故になってしまいました。
参考までに3・11の20日後に朝日新聞と民主党・日本政府に提出した災害対策の提案書を載せておきます。
震災後これを元に復興策が実施されました。この度の参考にしていただければさいわいです。
追伸:7日の大河ドラマ「光の君へ」を観ました。その時代観が私の『風に吹かれて』を敷衍しているので、安心して違和感なく見られました。多少、史実と違えど、そこはドラマ・物語なので楽しめました。今後も折にふれ語って行きましょう。では本年もよろしくお願い致します。